「自殺≒救い」というブランドの危険性と、信じないための3つの方法

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霧島もとみです。

前に、ダウンタウン松本さんの「死んだら負け」発言についての記事を書きました。


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死んだら負け。ダウンタウン松本さんの言葉と、スラムダンク安西先生の名言を比べて考えてみた。

松本さんの発言の背景にあったのは、「自殺≒救い」がブランド化することへの危機感だったと考えています。

これは、自殺のニュースがメディアで繰り返し取り上げられることで、まるで自殺が最後の救いであるかのように歪んだ幻想としてブランド化していくことです。

とても危険で、悲しいことだと僕も考えます。

自殺というブランドを絶対に信じないで欲しい。

僕のその思いを記事にしました。

自殺がブランド化するってどういうこと?

中学生や高校生の自殺がワイドショーで取り上げられると、有名人やコメンテーターが

・こんなに追い詰められて可哀想
・もっと早く気付いてあげられなかったのか
・胸が痛い

というように悲しさ・残念さを前面に押し出して話します。

よく見かける映像です。

元気な大人がこの映像を見たときには、

「まあ大変。かわいそうだね、残念だね」

という話で終わります。

でも心のバランスを崩している人にはこれがどういう風に見えるでしょうか?

心のバランスを崩していた僕の完全主観で書きます。

僕にはこう見えました。

これまで無名だった普通の子が、自殺をするだけで、テレビに取り上げられてみんなに存在を知られるようになる。

 

テレビに出てる有名なコメンテータに悲しみの言葉を添えてもらえる。

 

そうか。

自殺という方法を取れば、こうやって救われることがあるんだ。

 

自殺が僕に残された唯一の救いの方法かもしれない…。

僕はこう考えずにはいられませんでした。

 

さて、同じような事件がまた起こって、同じような映像が繰り返されるとどうなるでしょうか。

「自殺は”救い”なのかもしれない」という思いも繰り返されます。

そうしているうちに、「かもしれない」から「そうに違いない」という確信に変わります。

これが、自殺が「≒救い」としてブランド化するということです。

自殺がブランド化することの危険性

自殺が「≒救い」としてブランド化すると、どうなるのか。

ブランドとは、信頼であり、とても強い幻想です。

例えば「エルメス」という有名なブランドがあります。

エルメスという会社があり、エルメスブランドの商品がたくさんあります。

重要なのは、僕達は「エルメス」という名前を聞くだけでそのブランドのイメージを自動的に描いてしまうことです。

商品であったり、広告で見た映像だったり、良質という印象であったり…。
様々なものを思い浮かべると思います。

それは、僕達それぞれの中にエルメスのブランドが形づくられているからです。

こうなると、エルメスという言葉を聞くだけで「いいな」と思ったり、欲しいという欲求が引き起こされるようになります。

エルメスというただの言葉が、実体を持った存在のように肌感覚で感じられるようになります。

これは人間に「幻想を実体として感じられる能力」が備わっているからです。

では、これと同じように、自殺という言葉がブランド化するとどうなるでしょうか?

エルメスの場合と同じで、自殺という言葉が実体を持った存在のように感じられるようになります。

こうなると、自殺という言葉が常に思い浮かぶようになったり、自殺が救いというイメージが連想されてしまったりします。

最悪の場合には、自殺という決断の後押しをしてしまったりもするでしょう。

非常に危険です。

だから、自殺という言葉のブランド化は避けなければ駄目だと考えています。

自殺というブランドを信じないための3つの方法

そこで、自殺という言葉を、自分自身の中でブランド化させないための3つの方法を紹介します。

その1:テレビを見ない

対処療法ですが、いい方法です。

ブランドを作るには、同じような情報に何度も触れる経験が欠かせません。

その情報をシャットアウトすれば、ブランドは作られることがないからです。

とても簡単な方法なのでおすすめなのですが…

でも、見てしまいますよね。

同じように辛い思いをした人のニュースが映像で流れることのインパクトは大きすぎます。

情報の選択作用が働くと、意志とは関係なく、自動的に見ようとすらしてしまいます。

目を離すことは出来ないかもしれません。

そんな時も、次の方法が有効です。

その2:死について考えておく(客観的な視点で)

これは予防的な方法です。

そしておそらく、根本的な解決方法です。

あらかじめ死というものの実体をよく考え抜き、整理しておくという方法です。

事実に基づいた正確な認識を先に作っておくことで、後でテレビの断片的なイメージ情報が入ってきても、ブランド化されることは難しくなります。

具体的な方法については、僕の「死について考えてみた」という記事が参考になると思います。

僕なりに客観的な視点で死というものを考えて整理した記事です。
よかったら一度読んでみてください。



僕はこうして暗闇を乗り越えてきたシリーズ「死について考えてみた」

僕の整理では、

死とは生命体が不可逆的にその活動を完全に停止すること。

それ以上でもそれ以下でもありません。

ただそれだけです。

この認識を持っておくと、死に対しての幻想が積もるのを防ぐことができます。

それは同時に、自殺に対しての幻想が積もることを防ぎ、ブランド化を防ぐことに繋がります。

冷静に分析する視点と客観的な思考が必要な方法のため、心理的に落ち着いた状態で取り組むといいと思います。

その3:逆のブランドイメージを持っておく

もう少し簡単な方法として、逆のブランドイメージを作っておくという方法があります。

これがダウンタウン松本さんがやろうとした事です。

たとえば、「死んだら負け」という言葉によって、自殺が方法として間違っているイメージをあらかじめ作っておく。

このイメージが無意識下に強く残っていると、これと逆方向にある「自殺は救いである」というブランドは作られにくくなります。

その結果、自殺を選択する可能性は低くなるでしょう。

あらかじめワクチンを打っておくという感じですね。

ただ恒常的な予防法にはなりにくいため、定期的に逆のブランドイメージを強化するか、「その2:死について客観的な視点で考えておく」方法に切り替えることが必要です。

追伸:UVERworldの「7日目の決意」を聴いてほしい

僕が好きなアーティストであるUVERworldの曲に、どんなことがあっても生き抜くという決意を現した曲があります。

「7日目の決意」という曲です。

悲しみを秘めた美しいメロディーの中に、力強い決意を乗せたUVERworldを代表する曲の一つです。

この曲の次の歌詞に、メロディーに、僕は何度も涙を流しました。

もう 今日からは死ぬ以上の悲しみは ここに無いと思って生きていくよ
ならもう何も怖くない 誰がどう言おうと構わない
諦める必要もない 強く生き抜くよ

この曲を聴き、心を振るわせているうちに生きるという幻想が生まれはじめ、自殺が救いというイメージは静かに消えていくはずです。

一度、聴いてください。

まとめ

無防備にメディアの自殺に関するニュースを見ていると、「自殺が救いである」という誤ったブランド化が進んでしまう危険性があります。

この危険性を認識しておくことで、自殺の可能性はぐっと下がります。

精神が疲れているときは特に、自殺という言葉のブランド化が起こらないよう気をつけてください。

「自殺≒救い」という偽ブランドは絶対に信じないでください。

どうか、お願いします。

まとめ

・「自殺≒救い」がブランド化することは危険
・信じないための3つの方法
👉その1:テレビを見ない
👉その2:死について考えておく(客観的な視点で)
👉その3:逆のブランドイメージを持っておく
👉追伸:UVERworldの「7日目の決意」を聴いてほしい
・「自殺≒救い」という偽ブランドは絶対に信じないで

なぜ人は自殺を選ぶのか。

文学作品からその構造を考えた記事がこちらです。


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