「ロボットじゃない。人間なんだ!」・・・で、人間って何?という話

こんにちは、霧島もとみです。

ある動画でこんな言葉を聞きました。

「社長の下で働いているのはロボットじゃなくて感情のある人間です」

これは「言うことがコロコロ変わる社長がヤバい」という理由の説明のなかで、次のような文脈の前ぶりで使われたものです。

・ロボットは意味のない行動でも繰り返し行うことができる。
・人間には仕事に価値を感じたいという感情があるため、不信感が募る

例として挙げられていた「スタバでカフェラテ買ってきた」の話にウンウンと頷きながら、僕が知っている言うことがコロコロ変わる人を思い浮かべていたのですが、この時急に、全然違うことが閃きました。

そういや、よく使われているこの「ロボットじゃない。人間なんだ」的な台詞。

これについて、自分は大きな思い違いをしていたんじゃないか?という閃きです。

どうでもいい話かもしれませんが、僕のように悩みが多い人には意外と重要な話かもしれません。

今日はこの「ロボットじゃない。人間なんだ」という文脈で気付いた、自分自身の幻想について手短に紹介します。

「ロボットじゃない。人間なんだ」にどんな感情を揺らされる?

僕がこの台詞を聞いて思い浮かべるのは、

・ロボットと人間は違う。
・人間には感情がある。心がある。
・人間はロボットと違って価値のある存在だ。

という事です。

別に変わった考えじゃないと思っています。少年漫画や小説・映画などの物語の中でごく普通に使われている文脈で、これまでにも数えきれないほど目にしてきました。

だからこそ、僕がそういう風に思っているのかもしれません。

一つの言葉からどんな感情が揺さぶられるかは、その人次第です。

ですから人によっては、僕と全然違う感情を揺さぶられたり、あるいは、感情ではなく知識が呼び起こされて「いやいやそうじゃなくて…」という解説ができたりするでしょう。

それはそれで全然OKです。あくまでも今回の話は、僕自身の考えの整理ですから。

さて、この動画で「ロボットが…。人間が…。」という言葉を聞いたときにも、この感情が揺さぶられました。ロボットとは違って、

・人間には感情がある。
・人間には価値がある。

という感情です。

ですが、動画で紹介されている「人間」のエピソードは、あくまで「人間には仕事に価値を感じたいという感情がある」というものだけでした。

それ自体は何も間違ってないのですが、僕自身が「人間」という言葉に抱いていた文脈と何かが食い違い、大きな違和感を感じました。

この違和感の正体って何だろう?

それが気になりはじめ、急に動画の内容が頭に入ってこなくなりました。考えました。そして閃きました。

それは、僕自身が「ロボットと人間」という対比の言葉に対して一番強く持っていたものが、

「人間に価値がある」という文脈だった

という気付きです。

ですがこの動画では、「人間の感情」にだけフォーカスして紹介していた。

それが、僕自身の文脈にある「ロボットと人間の対比→人間には感情・価値がある」という文脈と食い違っていたことが、違和感の正体だったんです。

で、次のことに改めて気付かされました。

僕は人間という概念に対して、

無意識的に価値があると考えている

ということに。

次に気になったのが、ではその「価値」って何なんだろう?という事です。

人間という言葉に持っている幻想

「人間の価値」という言葉への自分の認識について、もう少し思考を深めました。言葉の定義ではなく、あくまで僕自身の認識の話です!

人間・・・人間という言葉は特定の個人ではなく、一般的な人間全体を指しているもの。ただ認識としては、これまで接したことがある人間だけを「人間」として考えている可能性はある。世界人類すべてを概念的に捉えられているかはわからない。

価値・・・個人の資質に左右されるような価値ではなく、人間全員に等しく備わっているもの。したがって個人が有する能力や資産ではなく、万人に共通して存在する価値。でも、それって何のこと??

ええと、つまりこういうことです。

良く分かってないってことです。

人間って何?価値って何?という自分自身の具体的な問いかけには答えられないのに、何となく「人間には価値があります!!」と考えてしまっている。

それが分かりました。

それはつまり幻想です。それもかなり曖昧な幻想です。

人間という言葉に対して、何の明確な定義も根拠なく「価値がある」という曖昧な幻想を持っていたんです。

この事に僕は気付きました。

そして同時に、何か重たいものから解放された感覚がありました。

曖昧な幻想を持つことの副作用

さて、結局のところ人間は動物でしかないというのが今の僕の理性的な考えです。

「動物でしかない」といっても、別に理性や知性を否定している訳ではありません。その機能は大いに評価できると考えています。人間は理性や知性を持ち、行動できる動物です。

他の動物と大きく違うことも明らかで、地球の陸上を征服しただけでなく、現代において高度な文明や文化を築いています。

それは今のところ人間だけが持っている特有の知的能力によるものとされています。ですが、それが「人間の価値」だと言われても感情的にはピンときません

ということは、僕はそういう動物的な能力を「人間の価値」だとは考えていなかったようです。

だとしたら僕は、何を「人間の価値」と感じていたのでしょうか。それについて今は言語化できないことは書きましたが、問題はその点ではありません。

幻想を持つことは、副作用を伴います。

それが何かというと、「人間には価値がある」という幻想を持っている以上、その裏返しとして、価値を感じられないものを「人間」だと考えられないという事です。

この副作用が僕は自分自身に向いていました。

”自分には価値がない…だから僕は僕が考える「人間=価値がある」グループに属する人間ではない”

という思考をしばしば持ち、その結果、孤独感と強烈なストレスを感じていました。

しかし一旦幻想に気付き、解き放たれると、その無意味さに気付きます。

だって、何が「人間の価値」かが分からないのに、どうやってそれが自分にあると評価することができるんでしょう?

勝利条件の決まってないゲームで勝てるわけがないですよね?無理ゲーにも程があります。

「人間に価値がある」

もしもあなたが僕と同じように、何かのキャッチコピーのような、実体が良く分からないただの幻想を持っているなら、今すぐ捨てるべきです。

僕はこれに気付いた時、凄くストレスが減りました。

人間という幻想から解き放たれようという仮説

今回は人間という言葉に僕が幻想を持っていたことに気付いたこと、それから解放されることでストレスが減ったことを書きました。

同じように「人間」という言葉に幻想を持っている人は多いのではないかと思います。

また、人間という言葉・幻想に囚われるあまり、人間が動物的・本能的に持っている感情の働きを客観視することが出来なくなっているのではないかとも思っています。

衣食住に困ってないのに、何か満たされず、幸せだと感じられない。でもその理由が分からない。ネットではこんな記事をよく見かけます。

人間という曖昧な幻想から解き放たれることで、このような苦しみから解放されることが出来るのではないかというのが僕の仮説です。

何も食べなければお腹が空きますよね?そのまま放っておくと、空腹とかいう言葉では済まないようなストレスや身体的苦しみを感じるようになります。

でもそれは「空腹に対する身体的反応」だと分かっているから、何かを食べて解消することが可能です。

でも幸せを感じられないという状態はどうでしょうか?何かの苦しみを感じているとしたら、それは空腹と同様に身体的反応なのに、何に対する反応かが分からなければ、それを解消することってできませんでよね。

それが今の社会で起きている現象ではないか?その理由の一つが「人間」という幻想ではないか?という仮説です。

個人レベルの経験・知識で検証することは難しいですが、心理学を勉強するなどして思考を深めていこうと考えています。気付いたことは、このブログでどんどん書いていこうと思います。

あ、それと、今回気付きを得た動画を最後に紹介します。

といっても有名なチャンネルなので今さら感が物凄いですが・・・まこなり社長のチャンネルです。

このチャンネルでは、人間の感情を客観的事実として捉え、説明するだけでなく、それに対してどういう行動を起こすかというアクションプランまでを提示しています。

常に客観的な視点に立ち、価値のある情報を発信しようという姿勢がビシビシに感じられる、僕的には今一番ハマっているチャンネルです。気付きがめちゃくちゃ多く、おすすめです。

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