今回のテーマは「和」です。
和という言葉から何を連想するのか。僕が第一印象で感じたのは、「和風」という日本的なつくりを表す熟語のイメージでした。
自然と調和した繊細な美。
そんな素敵なイメージを僕はこの「和」という漢字に持っているようです。
それはきっと僕だけじゃないようで、日本では「和」を使った言葉が実に多く使われています。
最近でいうと新元号の「令和」。
「昭和」もそうですね。
和菓子、和装、和歌山、和牛、和音、調和などなど…実にたくさんの言葉に使われています。
そこで今日は「和」を使った言葉にちなみ、福本伸行先生の
天〜天和通りの快男児〜
から、
魂を解放する名言集をお届けします。
え?
どこが「和」なのかって?
分かりにくかったかもしれないので太字で強調します。
天〜天和通りの快男児〜
どうです?ちゃんと入ってるでしょ?(笑)
というわけで本編いきます!
天〜天和通りの快男児〜とは?
福本伸行先生作の麻雀漫画で、1989年から2002年まで連載されました。
テレビ東京で実写ドラマ化もされています。
福本伸行先生の麻雀漫画といえば「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、実は「アカギ」はスピンオフ作品で、この「天」こそが赤木しげるの初登場作品なんです。
さてこの作品で最も異色な所が何かというと、最終エピソードが赤木しげるの通夜というところ。
葬式が最終エピソードというだけでもう十分異色なんですが、実は赤木しげるはまだ死んでいません。なんと生前葬なんです。
これをギャンブル漫画でやるという凄さ。
時代を先取りしすぎです…!
さて、この通夜編では、アルツハイマーを発症して「自分」が失われる前に安楽死しようとする赤木と、敵味方として共に戦った猛者たちとの対話で進行します。
そしてこの対話が、唯一無二の輝きを「天」という作品に与えています。
自殺を翻意させようとする敵味方に対して赤木が淡々と語る言葉の数々は、生きるとは何か、死ぬとは何かの本質の深い部分を指摘し、読者の死生観を揺さぶります。
僕も大きな影響を受けました。
そこでこの記事では、天の最終章「赤木しげる通夜編」から人生を考えさせられる名言を少しだけ紹介します。
勝負が…人生の全て…!
麻雀ができなくたっていい、ぼけたっていいじゃないか。女や酒、友人、家族とか、いろいろ…。人生にはあるじゃないか。
そう言って思いとどまらせようとする雀士・曽我に対して、赤木が言った言葉です。
それに対して赤木は「勝負が人生の全て」と言い放ち、
「そんなものは、全部休憩だ…。
勝負と勝負の間の息継ぎに過ぎないっ……!」
と続けます。
曽我は「メチャクチャ偏った考えやそれは…!」とツッコミを入れるのですが、赤木は全く揺れずに「その通り…!」と返します。
この後の言葉がまた重い。
「俺は偏っているっ…!俺は…
唯一…
それを誇りにここまで生きてきた…!」
赤木の振り切った生き様を見事に表しています。
人間は好きなものとか「生きがい」と感じるものを持っていることが多いと思いますが、それ以外にも楽しかったり大事に思っていたりすることがたくさんあるもの。
例えば「野菜づくりが生きがい」と言っているような人も、仲間と飲むことが楽しかったり、家族と触れあう時間が大切だったり、性欲があったりなどするわけです。
ところが赤木は、自分には勝負しかないと言い切り、その言葉のとおりに自分自身すらも惜しみなく捨てようとしているんです。
途方もない偏り。
異端の極みです。
もしも友人にそんな人がいたら、とても危なっかしくて付き合えないような存在でしょう。
ですが、なぜか僕は赤木のこの言葉に、この生き様に深く心を揺さぶられました。
それはなぜかというと、「生きがい」ただ1点に殉じるその生きざまに、純度の高い生の輝きを感じて憧れを抱いたからです。
自分が心から望む事を知り、そのただ1点のみに全てを注ぎ、人生を生き切る。果たして自分はどうだろうか?という問いを投げかけられ、僕は言葉を失いました。
あまりにも多すぎるんです。
大切だと思う事、やりたいと思う事、面白いと思う事……自分にとっての生きがいって何だろうかと考えた時、思い浮かぶ事柄があまりにも多く、そしてどれもが薄ぼんやりとして曖昧な輪郭しか持っていないことに気付きました。
「薄すぎるその生……!」
「100羽の兎を追うような愚行……!」
というような赤木の声が聞こえてきそうです。
自分の軸は何なのか。
自分が生きる喜びを感じる事は何なのか。
その自分に誇りは持てるのか?
そんな問いかけがこの言葉に込められているからこそ、僕の胸に深く刺さったんだと思います。
勝負が…人生の全て…!
そう思えるような何かを、自分自身を深く掘り下げて見付けることこそが生きることなのではと、考えさせられる一言でした。
おっと、既に2000字近くになってしまいました。
このままではあと一言くらいしか紹介できないので、ちょっとペースを上げています。
もう漕ぎだそう。いわゆる「まとも」から放たれた人生に……!
「まとも」つまり「正常であろう」という価値観と、自分の本心、魂との板挟みに苦しんでいるひろゆきへのアドバイスです。
ひろゆきは煮え切らないキャラです。
常に理で考え、結果を求めて行動する人物なんですが、作中ではその理が彼の足かせとなって行動できない様子が描かれています。
その姿に僕は自分自身を重ねてしまい、言葉を失いました。
ひろゆきに対して投げかけられる助言が、僕に次々と深く刺さっていき、ページをめくる指が何度も止まりました。
「真面目であることは悪癖だ」
「乱戦よ…!勝負事はたいてい…!」
「輝きを感じない人間は、命を喜ばしてないんだな……ってすぐ分かる……」
「傷つきは奇跡の素…最初の一歩となる……!」
「(正しい人間・人生なんて)一種の集団催眠みたいなもん……!まやかしさ…そんなもんに振り回されちゃいけない…!」
「ただ…やる事…
その熱…行為そのものが生きるってこと……!
実ってヤツだ…!」
赤木は、何かをやろうとする時に、その結果=成否に囚われて思い煩い止まってしまうこと、熱を失ってしまうことがまずいと話します。
僕は常にそうでした。
成功するのか、失敗するのか。
負けたらどうするのか。
勿論リスクを計算することは必要です。しかし本来は勝負をするためにリスクを計算していたはずなのに、いつしかリスクの方ばかりに意識がいってしまい、気がつけば勝負することすらを忘れてしまっていたことが多くありました。
それでも僕は「失敗していないから。負けていないから、まあいいか…」と変に納得をしていたところがありましたが、それに対して赤木は「熱を失うことこそがまずい」「命を喜ばしていない」と指摘しているのです。
確かにそうかもしれません。
勝負をしようと思ったということは、自分が「やりたい」と感じたということ。なのに、結果の成否を思い煩うことで、その感情に蓋をしてしまったらどうなるか?
心から熱が失われていくでしょう。
熱が失われた命は輝きを失い、生きているのか死んでいるのか分からない状態になる…。
その危険性を指摘し、「まとも」という幻想から自分自身を解き放ち、ただ「やる事」に向けて行くべきだというのが赤木の考えなんですね。
今の自分はどうなんだろうか。
行為そのものに没頭できているだろうか…。
「まとも」に囚われているのだろうか…。
深く考えさせられる言葉であり、エピソードでした。
おわりに
本当はもっともっと紹介したい名言があるのですが、途中で触れたとおり、2つ紹介した時点であっさりと3000文字を超えてしまいました。
3000文字チャレンジは字数が多い分には問題ないとされているのですが、一応のけじめとして3000文字を大幅に超えるべきではないと僕は考えています。
というわけで、今日はこの辺で終わりにさせていただきます。
この作品の「赤木しげる葬式編」は生と死について本当に深く考えさせられる名作です。
また改めて紹介記事というか、自分の考えを整理して書いてみたいと思います。