「第2章 こうして僕は非モテになった」に続き、第3章では僕が社会人になってからの非モテを振り返っています。
前回は、非モテに絶望した僕が「それでも彼女が欲しい!」と考え行動したことを紹介しました。
第3章 非モテ・絶望との戦い(2)それでも彼女が欲しい。絶望からの挑戦
今回は、僕が行動しても非モテから抜けだせない現実に絶望して、自分自身を追い詰め、ついには「30歳になって彼女ができなかったら死のう」と決意するまでの話を紹介します。
思い返すと本当に辛くて苦しい暗黒の日々でしたが、闇が一番深いのは夜明け前だという話もあります。どうぞよろしくお願いします。
「彼女いない歴28年の僕が非モテを語ろう」のコンセプト
その男は全くモテなかった。ヤラハタを余裕で通り過ぎ、「30歳までに彼女ができなかったら死のう」と思い詰めた苦悩の日々を過ごしていた。
彼女いない歴=年齢の日々をようやく抜け出したのは、28歳の時だった。
そんな男が、結婚して子供を授かり、今は何食わぬ顔をして家庭人を気取っている。そして、非モテのコンプレックスを抱えたまま生きている。
この物語は、そんな男の非モテな半生を振り返る物語だ。
男が非モテに陥った理由や、そこで足掻いていた姿を見て笑ってほしい。
もしもあなたが同じように非モテにコンプレックスを持ち、苦しんでいるとしたら、男の無様に足掻いた姿が少しでも救いになれば幸いだ。
世界中の非モテ(自分含む)に幸あれ!
(3)非モテの孤独が「死ねば楽になるのに」と囁く中で、僕は・・・
社会人になっても非モテだった僕は、「それでもやっぱり彼女が欲しい」という思いを捨てることはできなかった。
そこで、自分なりのやり方で精一杯頑張ってみようと決めて、行動をはじめたのが前回の話だ。
その内容と結果は次のとおり。
・女性と恐怖症 ✕ 受け身 = 非モテ
・学歴、職を身に付けたが相変わらず非モテ
・非モテな自分は変わらなかった
・飲み会ではとにかく楽しむ
・誘われた飲み会は全て参加する
・毎週映画を見る
・飲み会では楽しく酔えるようになった
・アルコールの力で女性恐怖症が弱まった
・飲み会では女性と楽しく会話出来るようになった
・連絡先を気軽に交換できるようになった
・デートのアポを取れるようになった
・素面のデートで上手く行かず終わる
・以下、繰り返し
自分を少しずつ変えて行くことはできたけど、彼女ができるまでには届かなかった。
その変化を成長と捉え、自分自身を肯定することが出来ればもっと良い方向に変われたのかもしれないけど、当時の僕はそう思わなかった。
努力をしたけど結果を出せない自分自身に。
酒の力を借りて1対1のデートのアポを取りながらも毎回駄目にしてしまう自分自身に。
僕は深い絶望を感じるようになった。
この時の絶望の深い闇を書いていきたい。
それでも彼女が出来ない、涙が止まらない日々
彼女いない歴=年齢は着々とその数字を増やしていっていた。
23歳、24歳、25歳、26歳・・・
この間、自分は何もしなかった訳じゃない。
むしろ自分に出来ることは色々やったし、それなりに努力も重ねたつもりだった。
けど、結果が出せない。
いつまで経っても彼女が出来ない。
一体どうしてなんだろう・・・。
ふっと暇な時間が訪れると、僕はこんな事ばかり考えるようになっていた。負の連想がたちまち巻き起こり、思考の中をグルグル回りだす。
・友達連中は皆彼女がいたり、結婚したりしている
・自分だけが彼女が出来ずに苦しんでいる
・このまま一生一人で生きて行くんだろうか
・誰にも相手にされない僕は、男として欠陥品なんだろうか・・・
そうしていると、やがて世界全体から見放されたような、気が遠くなるような孤独感が胸を突き刺した。
人間社会から、更には生物としての生命連鎖から切り離されたような気すらした。
呼吸が痛くなり、体が震えた。
沸き起こる激情がコントロールを超え、布団にもぐって声を押し殺して泣いた。吐くように泣いた。涙が止まらなかった。
ひどい嗚咽を伴う落ち込みが定期的に訪れるようになり、そして、その頻度は次第に高くなった。
気がつくと、週に1回泣かないと精神の安定が保てないようになっていた。今考えても危険な状態だったと思う。
この頃、僕の精神を一番大きく蝕んでいたものは、何だったのか。
それは「自分には価値がない」という感情だった。
無価値と感じるゆえの孤独感だった。
その感情を加速したのは皮肉にも、僕が選んだ努力の一つだった「飲み会は楽しむ。誘われた飲み会は全部参加する」という事だった。
酒を飲まない自分には価値がないという妄想
既に書いたとおり、飲み会に場馴れした僕は、酒の力を借りることで場を盛り上げ、また、女性と1体1のデートのアポを取れるようになっていた。
酒を飲んだ状態では、女性から「面白い人だ」と思われることが出来るようになっていた。
ところで酒の酔い方は様々だけれど、僕の酔い方は、「普段理性で行動に制限をかけているブレーキが緩くなる」「他人の目を気にしなくなる」「酔っている時の記憶は無くならない」というものだった。
だからどんな話をして、どんな行動で盛り上げたかをよく覚えていた。飲み会をきっかけでデートに誘った女の子が、どんな話題に興味を持っていたのかも覚えていた。
次はどう振る舞えばいいのかということも何となく予想はできた。
だけど、「第3章 非モテ・絶望との戦い(2)それでも彼女が欲しい。絶望からの挑戦」に書いたように、酒を飲まない状態で女の子と会った僕は無様な失敗を繰り返した。
経験不足や準備不足ももちろんあったけど、失敗の根本的な原因はそれじゃなかった。
酒を飲んでいる時のような面白く自由な振る舞いが、素面の自分にはできなかったことだ。
相手に惹かれるほど、自分の言動がどう思われるかが怖くなって緊張と恐怖に縛られる。
自分の感情を言葉にすることが出来なくなる。
バッターボックスに立っているのに、空振りを恐れるあまりバットが振れなくなっている状態だった。時間と相手は待ってくれない。モタモタしている内に見逃し三振、絶好球にも反応できないまま、バッターボックスを去った。
そうして「飲み会で気に入られる→素面でフラれる」を繰り返した僕は、こんな考えに囚われ始めた。
僕は酒の力を借りなければ何も出来ない男だ。
酒を飲まない自分には価値がない。
つまり、
本当の僕自身には・・・価値がない。
胸を刺す痛みは、はっきりと強さを増していった。
そして僕は「死ねば楽になる」と考えはじめた。
死ねば楽になるという現実逃避
僕は特定の宗教への信仰は持ち合わせていないけど、死生観として次のような考えを持っていた。
・人間はいつか必ず死ぬ。
・死ぬことで自分自身の意識は全て消える。
「彼女が出来ない」「自分には価値が無い」という思考が痛みとともに胸を刺し、涙を流す日々が増えていく中、僕はより強く自分自身を追い詰めていった。
考えれば考えるほど自分の価値が消えて行く感覚。
悲しさ、辛さ、悔しさ・・・
負の感情だけが増幅していく感覚。
そんな感覚が僕を支配している時間の中で、ふとした時、瞬間的に「辛い」という感情が爆発的に増大した。
その現象は僕の気力を失わせ、頭の中から全ての色を消した。
そこにこんな思考が浮かんだ。
人間はいつか必ず死ぬ。
こんなに悲しくて胸が痛い日々だけが続いていくのなら、生きていることに何の価値があるんだろう。
こんなに悲しくて胸が痛いのなら。
人間いつか死ぬのなら。
いっそこの瞬間に、死んで楽になってしまえばいいのだろうか。
この考えはとても魅力的に思えた。
眼前の悲しみや苦しみから解放される、唯一の可能性であるような気さえしてきた。
そう。非モテな僕は、非モテであることを理由に、ついに自分自身で死を選ぶことを本気で考えるようになったのだ。
他でもない自分自身が、自分自身を追い詰めた
冷静に考えると誰でもこう考えるんじゃないかと思う。
「モテないくらいで
死ぬことないじゃん」
僕も正直そう思う。今もそう思うし、当時もこう思っていた部分は間違いなくあった。ただ、負の感情が圧倒的に精神を支配していたため、すぐに掻き消されてしまっていた。
僕を追い詰めていたのは一体何だったんだろう?
それは他の何物でもない、僕自身だった。
僕自身の思考が原動力になり、自分では気付かないまま、自分自身を追い詰めていた。
当時の僕はこう考えていた。
・彼女が出来るのは男なら当たり前。
・仕事をこなし、優しく、普通にしていたら異性に好意を持たれる。
・どれだけ充実した恋愛を出来るかが自分自身の価値を決める。
・だから非モテな僕には価値がない。
異性にモテるモテないということを最上の価値であるように認識して、それを基準にしてしか物事が見えなくなっていた。
彼女いない歴=年齢という非モテ一直線な人生を送ってきたあまり、それでいて恋愛漫画に過剰に思い入れを持ってしまっていたあまり、世界を狭い目でしか見られなくなっていた。
狭い目でしか世界を捉えられなくなった自分自身が、自分自身を「非モテだから価値がない」と考えた。そう自分自身を認識していた。
この思考が社会的疎外感、孤独感を生み出し、辛さや悲しみという感情に加えて、生理的なストレスを作りだしていた。
非モテな状況そのものではなく、非モテな状況に由来する自分自身の思考が、自分自身を追い込んだ原因だった。
当時の僕はそれに気付けなかった。非モテな状況こそが苦しみの原因だと信じて疑わなかった。そしてそのまま負の思考の泥沼にはまり、自分自身を深い闇へと追い詰めていったのだ。
だからバカみたいな話だけど、「異性にモテない」ことだけを理由に死のうと、本気で考えたのだと思う。
だけど死んだら終わり。死んだら負け。自分は全てをやり尽くしたのか?
今振り返っても、僕のこれまでの人生で一番危険な時期だった。
それでも僕は死ななかった。
追い詰められながら、かろうじて、あと一歩を踏み出すことをしなかった。
自分自身を非モテの痛みと悲しみで大いに傷つけ、追い込み、気力や情熱を削ったけれど、死ぬことは無かった。
その理由は、先ほど紹介した僕の死生観に由来した。
・人間はいつか必ず死ぬ。
・死ぬことで自分自身の意識は全て消える。
これをベースにして「もし今自分が死んだらーーー」と思考を展開して、僕はまだ死なないことを選んだ。
その思考の展開はこのようなものだった。
もし今自分が死んだらーーー。
死ぬことにより自分自身の意識は全て消える。終わりを迎えることになる。そうなれば、痛みや悲しみを消えるけれど、もう永遠に非モテを脱出することも出来なくなる。
死ぬことは全てのチャンスを失うことだ。
僕は「これ以上チャンスがあっても可能性は0だ」と言い切れるのだろうか。
そう判断、努力や行動をしたのだろうか。
挑戦したのだろうか。
今までの人生に後悔は残っていないのか。
それなら死んでもいいかもしれないが、果たしてどうだろうか。
死んだら終わり。
死んだら負け。
自分自身の電源はいつでも切れる。
今が本当にその時なのか。その選択に後悔をしないのか。
そう考えると、死ぬのはまだ早い。
どう考えても、僕は自分自身に対して「全てをやりきった」「思い残すことは無い」と評価することはできなかった。
そして「死ぬのはまだ早い」という結論になり、その結果として僕は生き続けることになった。
しかし非モテとして生きる毎日はやはり痛く、悲しく、苦しいものだった。だから「こんな苦しみは嫌だ」「死んで楽になる方がいいのでは」という考えがどうしても浮かんだ。その度に大きく落ち込み、悩み抜いた後に「死ぬのはまだ早い」と立ち直った。
この繰り返しが本当に辛かった。
毎回、次の波が来るのが恐ろしかった。そこで僕は、自分自身の迷いを最小限に抑えるため、期限を切ることにした。
蛇足だが、精神的な落ち込みを繰り返したこの時期の経験の副産物として、僕は「死ぬのはまだ早い」という思考スキルを獲得した。
30歳までに彼女が出来なかったら死のう。それまでにやれることをやろう。
非モテな僕は、それだけを理由に自分自身を精神的に追い詰め、それは遂に「死ねば楽になる」という考えを持つにまで至った。その度に「死ぬのはまだ早い」「やりきってない」と立ち直ってはいたが、繰り返し訪れる精神の落ち込みに僕は恐怖を感じていた。
そこで僕は、「決める」ことにした。
自分自身が非モテであることに落ち込み、悩み、立ち直る。この精神の波が繰り返し訪れるのは、「自分自身がどうあるべきか」「何をするのか」を決めてないことの裏返しだと考えた。
もしそうなら、決めればいいのでは?と考えた。
自分自身の今の方針を明確化すれば、もし悩みや苦しみに揺らぐことがあっても、決意に従うことで迷わず進む事が出来るのではないだろうか、という発想だ。
当時26歳だった僕は、やがて次の事を考えた。
・30歳までに彼女が出来なかったら死のう。
・その時に言い訳しないよう、必死に努力する。
この決意の背景には、次のような思考があった。
・期限を決めることで、先の見えない非モテの苦しみを一旦忘れられる
・死ぬと覚悟することで、自分が本気になる
・このままの状態が未来永劫続くのは嫌だ
最終的に決めるには勇気が必要だった。何しろ、未来のこととはいえ、条件付きとは言え、「死ぬ」という具体性を持ったことを自分に課すのだ。冗談なら気にならない言葉も、自分自身の決意にするとなると急激に具現化して重みを増し、重くのしかかってきた。
でも考えれば考えるほど、僕が非モテの苦しみから逃れるための方法はこれしかないと強く思えた。
それに、何か自分が抱え込んでいた闇が少しずつ晴れて行き、光が差し込むような感覚があった。
ある日、僕は最終的に決意した。
・その時に言い訳しないよう、必死に努力する。
この決意を抱えたまま僕は非モテな日々を生きて行ったけれど、非モテな状況も、僕自身も、すぐには変わることはなかった。
27歳の誕生日を迎えた時、「これで死に一歩近づいたな」と複雑な笑みを浮かべた。28歳の誕生日には「本当に自分は終わるのかもしれない」と諦めにも似た言葉を吐いた。
そう。
決意の日から、遂に僕が年齢=彼女いない歴の非モテを卒業するまでには、まだ2年の日数を必要とした。
第4章 非モテからの解放 (1)女友達への相談、意外すぎたアドバイスに僕は…
僕の非モテをまとめた記事はこちらです。
▼彼女いない歴28年の僕が、僕の非モテを語ります。