「第2章 こうして僕は非モテになった」に続き、第3章では僕が社会人になってからの非モテを振り返っています。
前回は、まずは社会人になった僕の非モテな状況を紹介しました。
閉鎖的だった大学の環境とは違い、「モテ」の世界の人たちが周りに普通に存在する社会の中で、僕は非モテなまま変わらない自分へ絶望を感じるようになりました。
今回は、僕がその絶望から変わろうとしてどのような行動を起こしたのか、どう変わったのかについて紹介します。
「いかにも非モテな行動だね~」と笑われそうで身震いが起きるほど怖いのですが、だからこそ、さらけ出していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
「彼女いない歴28年の僕が非モテを語ろう」のコンセプト
その男は全くモテなかった。ヤラハタを余裕で通り過ぎ、「30歳までに彼女ができなかったら死のう」と思い詰めた苦悩の日々を過ごしていた。
彼女いない歴=年齢の日々をようやく抜け出したのは、28歳の時だった。
そんな男が、結婚して子供を授かり、今は何食わぬ顔をして家庭人を気取っている。そして、非モテのコンプレックスを抱えたまま生きている。
この物語は、そんな男の非モテな半生を振り返る物語だ。
男が非モテに陥った理由や、そこで足掻いていた姿を見て笑ってほしい。
もしもあなたが同じように非モテにコンプレックスを持ち、苦しんでいるとしたら、男の無様に足掻いた姿が少しでも救いになれば幸いだ。
世界中の非モテ(自分含む)に幸あれ!
(2)それでも彼女が欲しい。絶望からの挑戦
理系国立大学という「非モテの温室」を離れ、社会人というモテ世界の住人が跋扈する「野生の世界」へと飛びだした僕は、時間の経過とともに、自分がとことん非モテであることを痛感させられていた。
・自分は駄目なやつだ。
・自分は所詮非モテな人間なんだ。
・だって何も変わらない。
僕は次第に変わらない自分自身に対して絶望を感じるようになっていった。
この節では、そんな絶望の中で立ちあがり、戦おうとした日々のことを話したいと思う。
無様で勘違いな非モテの、ズレた戦いの日々の姿をさらけ出していきたい。
彼女がいないままで死ねるのか?
この頃、僕の頭の中に頻繁によぎっていた思考がある。
「ぼくはこのまま一生非モテで、
一生彼女ができずに、
一生童貞で死ぬのかもしれない」
この思考が頭に浮かび始めると、胸に締め付けられるような痛みが走り、体の力が入らなくなり無気力のまま涙にくれることがしばしばあった。
冗談のようだけど、こんな時にいつも思い出していた漫画のセリフがあった。
北斗の拳のサウザーのセリフだ。
こんなに
悲しいのなら
苦しいのなら
…………
愛などいらぬ!!
サウザーのシチュエーションとは違うけれど、僕は愛が手に入らないゆえに悲しみ、苦しんでいると思っていた。
だからこのセリフを
「愛という夢を追いかけるから苦しいのだ。だから、愛を求めなければ苦しむことはない」
と読み替え、サウザーと同じように愛を捨ててしまえば楽になるんじゃないか、そう考えてしまわずにはいられなかったのだ。
それも良かったのかもしれない。
でもそれは僕にとって「彼女がいないまま死んでゆく」というと同じ意味だった。
それで僕は我慢できるのか?
その一生に後悔なしと言えるのだろうか?
ラオウのように「我が人生に一片の悔いなし!!」と言って天に帰ることができるのか??
結局のところ、僕は諦めることが出来なかった。
それはただ、「ひょっとしたら自分のことを好きだという女性が現れるかもしれないじゃんか」という甘い願望を捨てきれなかっただけだと思う。
だけど僕にこの時、少しだけ変化が生まれていた。
自分が変わらないのなら、何か少しでもいい、無様でもいいから無理矢理変えていこうという考えを持つようになっていたのだ。
変わらなかった自分を変えて行こう
僕は非モテなまま変わらない自分に絶望していた。
でもある時、それは
女性とのコミュニケーションにおいて何も変わろうと努力せず、場当たり的に生きていた僕自身への絶望なのではないか?
と仮説を立てた。
さらに言えば、僕は「何も努力しなくても生まれつきの力で勝手にモテるようになる」という思い込みを持っているのではないか。
そして、いつまで経ってもモテるようにならない、つまり生まれつきのモテる力がないということに絶望していたのではないか。
このことは、後から考えると的を得ていたと思う。
なぜなら僕は、第2章こうして僕は非モテになったで話したとおり
女性恐怖症 ✕ 受け身
という状態になっていた。
受け身とはつまり、自分は何もしなくても、勝手に誰かが自分のことを好きになってくれると考えていることだからだ。
そこで僕は、何もしなくて変わらなかったのだから、今度は自分で自分を変えていくしかないのではないかと考え始めた。
運命的な出会いはあるかもしれないけど、これまでも当たらなかった宝くじをずっと待つよりも、自分の手で掴みにいく、あるいは当たる可能性を少しでも上げていくべきじゃないか。
何もしてこなかったら、非モテな自分は変わらなかった。
変わらないのなら・・・変えるしかない。
僕は身を締め付けられるような精神の痛みの中で、そう決意した。
しかしここで僕は、「その方法を自分だけで考える」という悪手を取ってしまった。その結果、僕は遠回りな道へと進み、苦しい日々をまだまだ送っていくことになる。
先人に学ばない、オリジナル攻略法を考える
ところで僕は国立大学卒業という学歴を持っていたのだけれど、受験勉強のほとんど全てを自主学習でこなしていた。
塾には行かず、家庭教師にも頼らず、つまり一人きりで参考書と問題集だけで学習していくというやり方だ。
そのためか「人に教わる」ことが習慣から抜けていた。
だから、非モテから抜けだそうというこの時も、人に教わらずに自分で攻略法を考えた。
その方法が主に次の3つだった。
- 飲み会ではとにかく楽しむ
- 誘われた飲み会は全て参加する
- 毎週映画を見る
なぜこれ??って自分でも笑っちゃうけど、当時の僕は大真面目だった。
1つ目:飲み会ではとにかく楽しむ
非モテの大きな理由だと考えたのが「女性と上手く話せない」ということ。持ち前の女性恐怖症や、何を話せばいいか分からない焦りから生まれる苦手意識は、すぐには直せそうになかった。
そこでまず考えたのが「酒の力を借りよう」ということだった。
酒は強い方ではなく、ちょっと強めの酒を飲むとたちまち酔い始めるのだけれど、ある時ふっと気が付いた。
酔うと、女性に対しても怯えずに話すことができていたのだ。
それともうひとつ気が付いたことがあった。酔うと普段は控えめな僕が楽しそうに振る舞い、また、それで結構場が盛り上がることがあったのだ。
なら、まずは飲み会から始めてみよう。
酒を飲んでまずは自分が楽しむことで、周りを楽しませて、ついでに女性と普通に話す経験を積もう。
そう考え、実行した。
2つ目:誘われた飲み会は全て参加する
酒の力を借りて女性と上手く話せるようになろうと決めた僕は、主戦場を飲み会と決めた。
そこで次に考えたことは、場数を踏んで経験値を上げていくことだった。
非モテな僕に欠けていたのはいわゆるモテ要素だけじゃなかった。女性との会話の経験値が圧倒的に欠けていた。
いくら酒の力を借りたとしても、自然に振舞えるようになるには場数をこなすしかないと思った。女性がいる飲み会に参加すると考えただけで緊張を感じるような僕だったけど、そこから逃げていてはいつまで経っても変わる事が出来ない。
それなら「誘われた飲み会は全て参加する」と決めてしまえば、もう行くしかないじゃないか。
大げさにいえば背水の陣のような覚悟で、僕は自分の退路を断つことに決めた。
3つ目:毎週映画を見る
女性と上手く話せない原因の一つが「何を話せばいいか分からない」ことだった。
なぜならこの当時の僕の主な話題といえば、自分の仕事のこと、好きな漫画やアニメのこと、パチスロや麻雀だった。
どれも女性に話せるような内容じゃない。引かれるのがオチだ。
つまり、女性と共通の話題がなかった。
だからこれを改善しようという考えだ。
しかしこの時の僕は、女性と共通の話題を持つためとはいえ、自分が興味が持てないことをわざわざ知るのは何か違うと思っていた。
何か女性と話せそうな内容のことで、それでいて僕自身も興味が持てるような事はないだろうか・・・。
そう考えた末の結論が「映画」だった。
今になって考えると検討違いも甚だしいのだけど、この時の僕はこれで大真面目だった。
こうすることで共通の話題ができ、話を盛り上げることが出来るようになるんじゃないかと考えていたのだ。
僕は映画を毎週1本見ることを自分に課した。
週末になると映画館に行き、レイトショーで見るということをひたすら続けた。
と言う訳で、先人に学ばない自分オリジナルの攻略法として、
・飲み会ではとにかく楽しむ
・誘われた飲み会は全て参加する
・毎週映画を見る
という生活を僕は積み上げていった。
想像に難くないとは思うが、この攻略法は確かに自分自身に変化をもたらしたものの、革命的な変化を獲得するには至らず、僕の非モテ脱出ゲームはまだまだ混迷の道を進むことになる。
一歩ずつ進むものの、負け続ける日々
さて、非モテ脱出ゲームの自分オリジナル攻略法を考えだし、実行を重ねていった僕には少しずつ変化が訪れた。
まず、コンパでの振る舞いだ。
自分が楽しむことを心がけた僕は、余計なプレッシャーが消えて酒に酔える様になり、良い意味で相手のことをあまり気にしなくなった。勿論社会人として常識的な振る舞いは守るように厳守していた。
酒の酔い方は人それぞれだけど、僕の場合は「普段抑えているブレーキが弱くなり、結果、女性恐怖症が弱まる」というものだった。
自分が楽しく振る舞い、そのうえで、中にはそれを楽しんでもらえる女性が出てくるようになった。
それに意外だったが、毎週の映画鑑賞も割といい話のネタになった。一般の人はそんなに映画に詳しくはないけど、少なくとも雑談の話題としては割と有効で、そこから話が広がることもあった。
また、誘われる飲み会に全て参加するように心がけたことも、僕に変化をもたらした。
場馴れだ。
何だかんだ言って人間の体は良く出来ている。場数を踏んで行くことで、酒の力を借りて女性と話すことに次第に慣れていき、かなり自然に振舞えるようになっていった。
そしてコンパでの振る舞いを起点にして、女性と会う約束を取り付けられるようになった。
これは非モテの僕にとって恐ろしい進歩だったと言えよう。
ただ僕は忘れていた。
僕の女性恐怖症が弱まり、女性と楽しく話せたのはあくまで酒の力を借りたものでしかなかったことを。
かくして1体1で女性と会った僕は、早々に自滅して無残にも非モテのまま敗北していった。
1歩ずつは進んだものの、負け続ける日々は終わらなかった。
ここまでの僕の変化をまとめるとこうなる。
・女性と恐怖症 ✕ 受け身 = 非モテ
・学歴、職を身に付けたが相変わらず非モテ
・非モテな自分は変わらなかった
・飲み会ではとにかく楽しむ
・誘われた飲み会は全て参加する
・毎週映画を見る
・飲み会では楽しく酔えるようになった
・アルコールの力で女性恐怖症が弱まった
・飲み会では女性と楽しく会話出来るようになった
・連絡先を気軽に交換できるようになった
・デートのアポを取れるようになった
・素面のデートで上手く行かず終わる
・以下、繰り返し
この他に、職場内の女性に突然告白して振られたりもした。
何かの言動をきっかけに「彼女、俺に気があるんじゃないか・・・」と微かにでも思ってしまったら、それが次第に「俺も彼女のことが好きだ」という感情に変わり、思いを伝えなきゃ!と突然告白して振られるということをやっていた。
まるで中学生のようなことを、社会人になった僕は恥ずかしげも無く相変わらずやっていたのだ。彼女たちにはさぞ驚かれた(引かれた)だろう・・・。
いかにも非モテな行動だった。
そんな訳で、非モテなもどかしい日々は、さらに続くのだった。
▼次の話はこちらです。
第3章 非モテ・絶望との戦い(3)非モテの孤独が「死ねば楽になるのに」と囁く中で、僕は・・・
僕の非モテをまとめた記事はこちらです。
▼彼女いない歴28年の僕が、僕の非モテを語ります。