第4章 非モテからの解放(3)非モテに彼女ができて変わった3つのことと、非モテのその後

霧島もとみです。

前回は彼女いない歴28年だった僕についに彼女ができ、「彼女いない歴=年齢」という非モテ人生をついに卒業した話を書きました。

告白という壁を初めて乗り越え、さらに女友達Yさんの「必ずその日にホテルに行く」という助言を無事達成して、僕は生まれて初めての充足感に酔いしれていました。

ただ非モテだという理由で自分自身を見失い、
一切の価値を感じることができなくなり、
世界から排除されたと感じる途方もない孤独感に死のうと思った。

そんな僕に彼女が出来ました。

僕を覆っていた非モテの呪縛がどう変わったのか、そのことを最後に紹介したいと思います。

「彼女いない歴28年の僕が非モテを語ろう」のコンセプト

その男は全くモテなかった。ヤラハタを余裕で通り過ぎ、「30歳までに彼女ができなかったら死のう」と思い詰めた苦悩の日々を過ごしていた。

 

彼女いない歴=年齢の日々をようやく抜け出したのは、28歳の時だった。

そんな男が、結婚して子供を授かり、今は何食わぬ顔をして家庭人を気取っている。そして、非モテのコンプレックスを抱えたまま生きている。

 

この物語は、そんな男の非モテな半生を振り返る物語だ

男が非モテに陥った理由や、そこで足掻いていた姿を見て笑ってほしい。

もしもあなたが同じように非モテにコンプレックスを持ち、苦しんでいるとしたら、男の無様に足掻いた姿が少しでも救いになれば幸いだ。

 

世界中の非モテ(自分含む)に幸あれ!

(3)非モテに彼女ができて変わった3つのこと

1.世界に受け入れられたという実感を得た

そもそも僕にとって非モテとは何だったのか。

このことについては「彼女いない歴28年の僕が非モテを語ろう【第1章 非モテとは何か】」に書いたとおりで、

非モテ=やれない

という事だった。

そして僕が見ていた非モテの世界の構造は次のとおりだった。

【図解】主観的な非モテの構造【図】僕の主観的な非モテの構造

世界の大多数がモテグループに属していて、非モテである僕は世界から断絶されている、という構造だ。

この構図の思い込みにより、僕は苦しみ、死すらも考えていた。

しかし僕は、28年の苦悩の末に彼女という存在を得ることに成功した。

彼女は僕の告白を受け入れてくれ、
体を許し合う関係性を持ってくれた。

この体験は僕の意識を強烈に変化させた。

「非モテの構造」で非モテ世界の住人だった僕が、そこを離れ、モテ世界の人々の輪に仲間入りしたという体感に繋がった。

そこは、かつて僕以外のほとんどの人たちが住んでいると思っていた「非モテじゃない普通の世界」。
そこに、自分が仲間入りしたと感じた。

これは非モテに壮絶なコンプレックスを抱えていた僕にとって、世界そのものに受け入れられたと言っても間違いじゃない事件であり、非常に大きな出来事で…

僕にとって大きな救いだった。

これが一つめの変化だった。

2.人の温もりを初めて感じた

「人の温もり」という言葉がある。

言葉としては随分前から聞いたことがあったが、それがどんなものか、非モテの僕にはピンと来なかった。

人の温もりを体感するためには、人に触れなければならないからだ。

非モテの僕が人に触れるといえば、満員電車で押し合ったりとか、酒の席で酔っ払った男同士で抱き合うとか、整体の治療やマッサージを受ける時くらいしかなかった。

そこで感じる人の温もりはただの物理的な体温、ただの熱でしかなく、「ぬくもり」と表現するような感情は一切生まれなかった。

しかし、彼女という存在を得た僕は、他人と肌を重ねるという経験をすることになった。

恋人と肌を重ねた時に感じられる情報量は想像以上に膨大で、全身から溢れんばかりに伝わってくるヒトの存在感が、不思議と僕を安心させた。

味わったことが無かった、心地よい感触と時間だった。

孤独にさいなまれている時には無かった感情が、安心感が、僕を大きく包んだ。

それがなぜかは僕自身も分からなかったが、決して言葉や物語からは得られない存在感だということは間違いないと感じた。

この時、これが「人の温もり」なんだと、大袈裟かもしれないけど僕は初めて実感できた。

これが2つ目の変化だった。

3.未来が広がった

僕は「30歳までに彼女ができなければ死ぬ」と決意していた。

僕は彼女が出来たことにより世界に承認されたと感じ、充足感に満たされていたのだけど、それと同時に安堵感に包まれていた。

それは、僕が30歳で死ななくていい事が確定したからだった。

・30歳までに彼女が出来なかったら死のう。
・その時に言い訳しないよう、必死に努力する。

もしも彼女が出来ずに30歳になったとき、僕が本当に死を選択したかどうかは今となっては分からないけど、当時の僕はこの決意を完全に実行するつもりだった。

それほど非モテの孤独と苦しみは強かった。

しかし僕は彼女を得ることができ、非モテの孤独から離脱することと同時に、かつての死のうという決意を実行する必要がなくなった。

30歳の誕生日から向こうのカレンダーを捨ててしまっていたぼくに、もう一度、未来の時間が戻ってきた。

僕は、まだ生きられるんだ。

僕はそのことを嬉しく感じている自分に気付いた。

「何だかんだ言っても本当は死にたくなかったんだな」と自分自身の感情を知って、僕は納得の笑みを浮かべた。

未来が確かに広がった。

これが3つ目の変化だった。

これら3つの変化により、僕の生き方は大きく変わることとなった。

(4)非モテのその後へ・・・

人生初の彼女を得た僕がその後どうなったかというと、その彼女と1年程の交際を経て結婚し、3人の子供をもうけて今に至っている。

彼女をいない歴28年=年齢だった非モテの僕が結婚し、子供まで作ってしまったのだから、人生がどうなるのかなんて本当に分からない。

そして30歳の誕生日から、もう10年以上が過ぎた。

もちろんこの先もどうなるか全く分からないけど、この10年間は意味のある時間を過ごせたと思うし、今も未来に向けて一歩ずつ歩んでいる。

少なくとも非モテのまま30歳で死んだ場合と比べたとしたら、過ごしてきた時間に大きな価値があったと言える。

彼女が出来て良かった。
死ななくて良かった。

辛い時間は相変わらずあるけれど、それでも、今を生きていて良かったと思っている。

それが今の僕の姿だ。

それでは最後に、僕の今のモテ・非モテに関する状況について少しだけ書いておきたい。

女性恐怖症が薄らいだ

非モテだった頃はとにかく女性が怖かった。

しかし彼女が出来て、さらに結婚をしたことで「男女交際の安全地帯」に自分自身がいるという安心感を持てるようになり、その結果として女性恐怖症が薄らいだ。

男女交際の安全地帯というのは僕の表現で、「女性に対して恋愛感情を持つ必要が無くなった状態」を意味している。既婚になった僕はどうやら女性に対して恋愛感情を持つ必要がないと考えているらしく、女性に対して特別な意識を自然と持たなくなっていた。

そうすると、どうなるか?

非モテ時代は「ちょっと素敵だ」と思った女性と話をするだけでカチコチに緊張し、恐怖を感じていたけれど、それがごく普通に振舞えるようになった。

女性が近くにいても恐怖を感じない。

これにより、僕の精神的な負担がかなり軽減されることになった。

予想外の嬉しい変化だった。

非モテのコンプレックスは消えなかった

結婚したことで女性恐怖症は薄らいだものの、非モテのコンプレックスは完全には消えなかった

身近でモテる男の話を聞いたり、誰かが彼女を作ったとか彼氏を作ったとかいう話を聞いたりするたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。

意識する必要なんて全くないと理性では分かっているのに、理屈抜きに自分の「過去の非モテ」を思い起こしてしまい、苦しさを覚える。

この無意識的な反応を消し去ることは、今の僕には出来ていない。

それはつまり非モテのコンプレックスが消えておらず、今も胸の中に強く傷跡として刻まれていることを意味する。

女性恐怖症が薄らいだように、コンプレックスも消えるだろうと思っていたけれども、そう簡単には行かなかった。

生まれてから28年間、非モテに苦しんだ頃の強烈な記憶はそう簡単に消えないという事なのだろう。

非モテとして生きて行く、それが決意

僕は非モテではなくなったのだろうか。

確かに彼女ができ、結婚をしたけれど、自分自身が非モテであったことのコンプレックスは依然として胸の中に刻まれている。

今の僕の状況は、客観的な視点で見ればモテ世界の住人だろう。少なくとも妻にはモテているわけだから、広い意味でのモテ世界の住人だと言って間違いない。

けれども、状況ではなく僕という精神そのものは、まだまだ非モテの傷が大きく残されていて、いまだに痛みを感じることもある。

自分自身の非モテ人生で刻まれた悲しみや苦しみはそう簡単に上書きされないのだろう。

だから僕は、変わらず非モテのままだ。

けど。

非モテな僕だって捨てたもんじゃない。
今はそれが見える。

非モテだけど彼女が出来たし、結婚することもできた。
子どもを持つこともできた。

仕事に苦しむ時期もあったけど、それでもなお働き続け、自分と家族を養うことが出来ている。

趣味の時間を持って、体を動かしたり、このブログを書いたり出来ている。

UVERworldの音楽に触れて感動することも知っている。

だから、今の僕が考えているのは、非モテな僕でも良いということ。

非モテの傷を抱えたままでも生きていける。

それ以外の価値を僕は持っているから、「モテ・非モテ」の狭い価値感だけで自分を追い込んで苦しめることはしない。

もしこれからも非モテな僕が続くのだとしても。
僕は非モテとして生きて行こうと思う。

その決意を、僕は持つことが出来た。

だからこう言える。

この言葉で、僕の非モテの半生の物語を一旦閉じることとしよう。

世界中の非モテ(自分含む)に幸あれ!

 

長い長〜い話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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