「書くということ」を考えたら結局自分のブログタイトルに行き着いた【3000文字チャレンジ】

まず最初に、3000文字チャレンジ公式アカウントの2代目管理人であるなかのさん@nakano3000)に心から御礼を申し上げます。

ここまで3000文字チャレンジを続けていただきありがとうございました。

そして最後を宣言していただいたことにも感謝しています。なかのさんの3000文字チャレンジへの愛を感じるとともに、真摯な責任感に思いを馳せずにはいられません。

恐縮ながら、もう一度言わせてください。

「ありがとうございました」

さてそういう訳で、いよいよ最終となった3000文字チャレンジ。

これを欠席するわけにはいきません。

お題は「書くということ」

ブロガーにとってほぼ全てと言えるこのお題は、まさに最後を飾るに相応しいものです。

一番くじで言えばラストワン賞。

その最後に少しでも華を添えさせていただきたく、今夜はステキなゲストブロガーをご招待しました。

なんと。

あの。

風流と変態の狭間を生きる平安貴族!

歌を口ずさめば乙女の胸を射抜き!

川柳を嗜めば菓子パッケージに採用される!

そしてマクドナルドからは謎に指名手配されている、あの男!

そう、その名は・・・!!

やーさんです!!どうぞ!!

(そこに現れたのは変態には違いない匂いを漂わせながらも、貴族の品格は全く持ち合わせていない、身なりだけは奇妙にしっかりしているアヤシゲな男だった)

あ、あれ?

やーーさん、、では、ないですよね???

「はい。私はやーさんではないですね」

えっ、どういうこと?やーさんは?

「フッ・・・。そもそもアポってないですし、来る訳ないじゃないですか。勝手に名前出しちゃって・・・怒られても知りませんよ?」

えっ?アポってないの?勝手に名前出してるって、どういうこと?スタッフーーー!!

「でも大丈夫。やーさんの代わりに私がゲストとして来ましたので、きっちりと3000文字、届けさせていただきますよ」

えっ?あなたが代役?ていうかあなた誰・・・って・・・ああっ。

「そうです。書くということ評論家の皆川恭也です」

ということで前置きが長くなりましたが、本題に入らせていただきます。

書くということ1:「書くということ」の本質とは

「ではさっそくですが、書くということって、何だと思いますか?」

…そうですね。やっぱり、誰かに何かを伝えるということだと思います。

「ほほう。誰かに何かを伝えることが、書くことだと」

…はい。行き着くところはそこじゃないかなと思って、ブログを書いています。

「なるほど。よく分ります」

…ありがとうございます!

「だからこのブログ、こんなにアクセス数が伸びないんですね」

………

「えっ?何か間違ったこと言いました?」

…いいえ、その通りです。。。

「だってほら、まるで何も考えていないですっ!ていうような答えが返ってきちゃったから、そんな何も考えてない人が書くブログなんて面白くもないし、誰も読まないだろうと思ったからつい言っちゃったんですけど」

…ちょ、ちょっと!言葉がグサグサ刺さり過ぎて痛いです。

でも何も考えてないってひどくないですか?記事を書くときはちゃんと整理して、読む人に少しでも楽しんでもらるようにとか、必要な情報をわかりやすく伝えるようにとか、考えて書いてるんですよ。

「なるほど。ところで私のおばあちゃんがこんな事を言っていました。下手な考え、休むに似たりと」

………

「そもそもねえ、根本的なところでズレてるのに、そこで努力したって全くの無駄なんですよね」

…どういうことですか?

「書くということの根本が何かっていう話です」

…根本って、そりゃあ情報を整理して…

「ああ違う違う。あなた…いや、お前は、書くということの本質を全く理解していない」

…ほ、本質??でもハウツー本には…

「ハウツー本なんてクソくらえだ。ハウツー通りにやって書けるのなら誰も苦労しない」

…うっ、確かに…。

「書くということはそういうことじゃない。書くということは、相手の心臓をつかむこと。つかんだらしぼること。そして……

つぶすこと…!」

…し、心臓を!?それって…。

…それって、

福本伸行先生の「銀と金」のパクリじゃないですか!!

「クク…!お前にしてはなかなか鋭いじゃないか…!」

…またパクリですか。本当に芸がない…。

「まあそう言わないでくださいよ。でもね、真面目な話、書くということの本質はコレなんですよ。読み手の心臓をつかみ、しぼり、つぶす。これが書くということなんです」

…あっ、そういうことか。つまり、

「そう。書き手は考えなければならない。読み手の心臓をどうやったら掴めるのか。心臓はどこにあって、どう手を伸ばせば届くのか。どうやれば絞り、潰しきれるのか」

…それが書くということの本質なんですね。

「そう。だからさ、『誰かに何かを』なんていうのじゃあ、公園のベンチでブツブツ独り言を言ってるのと同じってことでしょ?」

…なるほど…。

「分かってもらえたようで良かったです。それでは今日はこの辺で…」

…ちょちょ、ちょっと待ってください!

「えっ、結論が出たからもういいじゃない」

…いや、まだ分からないんですよ。

「何がですか?」

…一つ大きな疑問があるんです。

「ほほう?言ってみてください」

…はい。それはつまり、

誰の心臓を潰せばいいのかってことです。

書くということ2:誰の心臓を潰す?の前に…

誰の心臓を掴み、絞り、潰すのか。そこが見えない限り、何も分かっていないのと同じなんじゃないかって気がするんです。

「なるほど。少しは考えたようですね。では残りの文字数も少なくなってきたのでズバリ言いましょう。

それはね、目的によるので分かりません」

…えっと。。。

「パソコンと一緒ですよ。こんなくだりを聞いたことありませんか?『どのパソコンを買えばいいですか?』『それはお客様が何をしたいかによります』」

…はい。聞いたことがあります。

「それと同じですよ。『誰の心臓を潰したらいいですか?』『それはお客様が何をしたいかによります』」

…さすがに違う気がしますけど。

「いや、同じですよ!じゃあ幾つか例を出しますよ?

・ビジネス文書→お客様の心臓を潰す!

・陳述書→裁判官の心臓を潰す!

・始末書→決裁者の心臓を潰す!

・年賀状→自分の心臓を潰す!

どうです?もうこれで分りましたよね」

…ちょっと例が極端過ぎて正直イメージが湧きにくいですけど。陳述書なんて書いたことないですし、まあ始末書は書いたことありますが…。

「えっ?始末書なんて書いたことあるんですか?」

…はい。ありますよ。

「プッ」

…笑わないでください。

「じゃあその時のことを思い出しましょう。どういう気持ちで書きましたか?」

…えっと、そうですね。。。早くこの不始末を終わらせたいなあって。

「そのためには、どうすれば良いと思いました?」

…できるだけ明解で、読みやすく、上の人が納得できるような文書を…って、ああ!そういうことですか。

「そう。この時は条件が限定されることで、あるいは今まで何回も始末書を書いた経験から、誰に向けて書けばいいかということに気づいていたんですよ」

…確かに。

「それが心臓を潰すということ。じゃあ何故今はそこに気づけないのか。そこは分りますか?」

…なぜなんでしょう。

「目的が無い文書だからですよ」

…えっ?

「ブログを書きたい、書かなければならない、そんな気持ちだけが先行してしまって、肝心要の『何のために書くか』ということを考えていない。誰の心臓を潰せばいいか、気づけなくて当たり前」

…なるほど。そうか…ビジネス文書はお客様に影響を与えるために書くものだし、陳述書を読んで判断するのは裁判官…なるほど。

「フフフ。ようやく気づいたようですね。ではもう一度繰り返しましょう」

書くということは、相手の心臓をつかむこと。

つかんだらしぼること。そして……

つぶすこと…!

書くということ3:年賀状は誰のために?

…あっ、でも、年賀状?年賀状って相手のために書くものじゃないですか?それが自分の心臓っておかしいですよね?

「それはですね、年賀状が自己中なものだからですよ」

…えっ?

「特にあなたの年賀状はヒドい。旅先の写真と子供たちの写真を貼り付けて、そこに簡単な一言を添えるだけ。はっきり言って、

年賀状を出したというアリバイ作り

をしたいだけの詐欺師のような行動ですよね」

…そんなことないですよ!ほら、子供の成長とか見るとほっこりしないですか?

「しないですね」

………

「ていうか、同じように送られてくる他人の年賀状の子供の写真見て、ほっこりします?なんか感じます?一瞬チラ見して、誰から来てるかを記録したらあとはポイてな感じでしょ?」

…うっ。そ、そんなことは。

「所詮ハガキ1枚で送る年賀状なんてそんなものですよ。本気の感謝と挨拶を送るのなら、どう考えても便箋で送るようになる。受けた感謝を思い返し、相手の心情を想像し、どんな言葉を伝えるべきかを振り絞って考え、筆にしたためて送る…そんなことやってますか?」

…いや、それはさすがに。

「じゃあやっぱり、自己満の年賀状ですよね!」

…ううう。もう、年賀状の件はそれでいいです。

書くということ4:これから何を書くのか

「では最後に。これから何を書くんですか?それを聞かせてください」

…いきなり最後なんですね。

「はい。もう文字数が3000文字を超えたので、さっさと結論にいきましょう」

…まず誰の心臓を潰すか。その前に目的は何か、ということですよね。

「そうそう。そこをさっさと書いて、この記事を終わりにしましょう」

…なんか投げやり過ぎませんか?

「いや。もしもこの記事を読んでくれている人がいたら、全員が全員、同じことを考えてると思います。もうスクロールするの疲れたって」

…分りました。でもそれは、もうブログの中に書いています。

「えっ?」

…このブログのタイトルは自分解放記。自分自身を解き放つブログ。そう書いてるんです。嘘だと思うなら見てみてください!つまり目的は自分自身を解き放つこと。

そのために潰すのは、

ほかでもない自分の心臓です!!

これを潰します!

全身全霊で潰します!!

ジョジョの奇妙な冒険第三部のスティーリー・ダンのように4ページに渡ってオラオラで潰し続けます!!!

「うん。それは素晴らしいね。ていうか…」

…はい?

「ブログのタイトルのこと、忘れてたでしょ?」

…えっ、あっ、そ、そんな…。

「まあ人間の決意なんてそんなもんですよ。忙しさ、トラブル、色んなものを理由にして忘れてしまう。人間はそもそも忘却するように出来ている生き物ですからね」

…そうかもしれません。

「でも大丈夫。今日、改めて熱い決意を聞きましたので、それを忘れないように素晴らしいプレゼントをお持ちしました。受け取ってくれると嬉しいのですが」

…えっ、ありがとうございます。なんだろう。

「ブログタイトル『自分解放記~自分自身を解放する~』の横断幕です!」

………

「これを部屋に、いや、リビングに貼っておけばもう絶対に忘れることはない!これからは毎日自分の心臓を潰すために記事を書き続けられること請け合い!いやあよかった、これで全部解決ですね!」

…ちょっとそれは、、、家族にバレちゃうので無理です。。。

「そう。覚悟を決める。これがつまり

書くということ

なんですねきっと!いやあ、きっちり締められてよかった~~」

…こんな強引な終わり方!

「次回、小室チャレンジでお会いしましょう」

…さすがに無理でしょ。

 

ということで、最後の3000文字チャレンジ記事とさせていただきます。

改めて「書くということ」について考える機会となり、やはり3000文字チャレンジって面白かったな、でも続けるのは本当に大変だな…と思えた記事でもありました。

なかのさん、やーさん(@ohokamudumi)、ありがとうございました。

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