こんにちは、霧島もとみです。
高木徹さんのノンフィクション「ドキュメント戦争広告代理店・情報操作とボスニア紛争」の感想を紹介させていただきます。
この本は1990年代のボスニア紛争で繰り広げられたPR戦争を取材して書かれた本です。講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞を受賞しました。
著者はNHK職員。まずNHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~」として放送された後、番組で紹介しきれなかった取材の成果や、その後得た情報を加えてこの本が出版されました。
タイトルからして物々しく、難しいイメージ。文庫版で400ページ近くあるボリュームで手に取りにくい感じの本だったんですけど、読んでみたらがらりと印象が変わりました。
スリリングで面白いだけでなく、簡素ながら生々しい描写。引き込まれて止まらなくなりました。
情報戦とは?
メディアの力とは?
普段何気なく見ているニュースの見方ががらりと変わる本でした。
読んで考えたことをまとめておきます。
「ドキュメント戦争広告代理店」の概要
1990年代のボスニア紛争。
独立したばかりの国、ボスニア・ヘルツェゴビナは自国を守るために紛争を「国際化」すると決めた。そして、力のある西側先進国を主体とした国際社会をこの紛争に巻き込み、味方につけるという戦略を描いた。
そのために外相シライジッチが動く。しかし東欧の小国、すぐには相手にされない。
事態を打開するため、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはアメリカの民間PR戦略会社ルーダー・フィン社のジム・ハーフと契約する。
ハーフは「マスコミを動かし、世論を動かし、政府を動かす」ための戦略を練り、演出を用意し、様々な手段を活用して各方面に働きかけ、効果を上げていく。
最初は小さな波紋でしかなかったものが、次々と重なり、やがてうねりになる。最終的には敵国ユーゴスラビア連邦を国連から追放するまでに至る…。
というのが、この本のおおまかな内容です。
「ドキュメント戦争広告代理店」の気付き
PR戦争の恐ろしさ
この本の主役はボスニア・ヘルツェゴヴィナの外相シライジッチと、PR会社ルーダー・フィン社のジム・ハーフです。
このため主にボスニア・ヘルツェゴヴィナの視点から事態を追いかけた格好になっていますが、実際の紛争において、ボスニア・ヘルツェゴヴィナと敵国ユーゴスラビア連邦のどちらかが100%黒・100%白というような真偽が明らかにされた訳ではない事が書かれています。
それなのに国際世論はユーゴスラビア連邦が悪だというような図式に染まり、同国は最終的に国連から追放されるという結果に至ります。
まず、この事に戦慄を覚えました。
なぜかというと、逆だと思っていたんですね。
世界を動かすのは真実で、情報はそれを伝える手段に過ぎないと。
でもこの本では、真実かどうかはさておき(嘘を作るという話ではありません)、情報は目的を達成するために発信されるもので、その情報によって世界が動いた事実が書かれていたんです。
「ボスニア・ヘルツェゴヴィナが正義で、ユーゴスラビア連邦が悪だ!それが明らかになった!だからそれを伝えるんだ!」
という話ではなく、
「クライアントであるボスニア・ヘルツェゴヴィナが有利になるように情報戦を展開する」
という話なんですね。
よく「情報戦争」とか「PR戦争」とかいう言葉を目にすることはありましたが、「たかだか情報に”戦争”なんて大袈裟な言葉を使うなんて馬鹿らしい」と思っていました。
でも考えを改めざるを得ません。
メディアを動かし、世論を動かす。政府を動かす。
目的を達成するための一つの手段が情報戦であり、これは間違いなく、勝つか負けるかの戦争なんだということが理解できました。
事の真偽ではなく、発表された情報とその伝え方によって世論が形成され、世界が動いていくということ。
このことをしっかりと肝に銘じたいと思いました。
「正しいから支持される」は間違い
根が真面目なんでしょう。それとも単に馬鹿なんでしょうか。
私はこれまでこんな風に考えていた節があります。
「正しいから支持される。間違っているから非難される。真偽不明なら明らかになるまで保留される」
この本を読んだことで、この考えは粉々に粉砕されました。
正しいから支持されるなんてそんな事はない!情報戦によって、目指すところへ誘導していくことは不可能ではないこと。
流れを作ったものが勝つということ。
これを体感したからです。
「正しいから支持される」は間違いでした。甘えの考えでした。
例え正しくても、情報戦に勝てなければ、世間には届かずそっぽを向かれてしまいます。正しいと知っているならばこそ、確かめたのであればこそ、戦って勝つという強い決意を持たなければならない。
これも大きな気付きでした。
キャッチコピーの威力
本作で描かれた情報戦争を大きく左右したのが2つの言葉です。
「民族浄化」と、「強制収容所」。
民族浄化という言葉は人種のるつぼと言われるアメリカや、常に民族問題を抱えるヨーロッパの人々の心に強烈に訴えました。
また、強制収容所は第二次世界大戦でのナチスのユダヤ人迫害の記憶を呼び起こしました。
この2つの言葉が世論の風向きを大きく変え、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ側へと一気に傾けていくことになった様子が描かれています。
キャッチコピーの威力を目の当たりにしながら、なぜキャッチコピーがこれほどの力を持つのかという事を考えました。
そういえば先日読んだ三島由紀夫の「美しい星」を読んだ時に、「過去の蓄積×新しい体験×観念」が人を支配するのでは?と考えたことを思い出しました。
そこで気付いたのは、
キャッチコピーは、まさにこの「観念」を人々に与える役割を果たすのではないか?
という事です。
キャッチコピーで「観念」を提供する。その観念が、人々の過去の蓄積を想起し、新しい体験(今起こっていること)に解釈を与えるのであれば、その「観念」によって人々の思考を支配・誘導することができるのではないか。
逆に言うと、キャッチコピーとは、ただ単に「いい言葉」ではなく、目にする人の過去の蓄積を想起させ、目の前の体験とを結びつけ、新しい観念を完成させるようなものでなければならない、という事になります。
キャッチコピーの威力の凄さを感じるとともに、そもそもキャッチコピーとは何か?についても考えさせられました。
【書評】三島由紀夫「美しい星」宇宙人…って厨二病な文学?観念が人間を支配する構造とは
おわりに
世間のニュースに対して常々こんな事を考えていました。
「何でこんな論理的に間違った話が報道されるのだろう?」
「明らかに矛盾しているのに非難を続けるのだろう?」
例えば国会。何らかの非難をする行動が報道される時、私は「非難をする行動」が目的で、その結果として報道が付いてくるものだと思っていたんですね。
でもそれは実は逆で、「非難をする」という情報を発信し、メディアを通じて社会に広めることで、世論を誘導することこそが目的の行動ではないかとも考えられます。
そう考えると腑に落ちるところが多い。
情報戦争、PR戦争という思考は、目的を達成するための戦略・戦術であるとともに、情報社会で生きるためのリテラシーにもなる考えだと感じました。
面白いだけでなく、読む価値のある本です。