進む道が幻想のように掻き消えたときの話【3000文字チャレンジ】

北海道に2回だけ行ったことがある霧島もとみです。

今回は3000文字チャレンジ「道」の記事です。

あ、3000文字チャレンジが何かというと、こういうことです。

それで今回のお題が「道」です。

道という言葉を考えた時、僕の脳裏に浮かんだのはあの言葉です。

「深いっていうより長いんだろうな。柔”道”っていうくらいだからな」

誰の言葉かというと、勿論皆さんご存知、我らが浜名湖高校柔道部の強化コーチ、倉田典善(静岡県警所属)その人です。

えっ、知らねーよ?

仕方がないですね。そんな教養のない方は今すぐレンタルコミックで「帯をギュッとね!(河合克敏先生)」文庫版全16巻を借りて読んで下さい!!

それはさておき。

道というのはなぜか心に響く言葉です。

人生をすら例える力があり、しかも多くの人に納得させる力がある言葉が「道」でしょう。

今日は僕の人生を振り返り、

進むべき道が見えなくなった忘れられない経験を書きたいと思います。

その日僕はうつ症状であると診断され、そのまま出社した仕事場で感情をコントロールできなくなり、休暇を取るよう命じられました。

ちょっと暗い話になるので恐縮ですが、まあ、こんなこともあるんだなということでお付き合いいただければ幸いです!

その日までの僕の道は

僕は自分で言うのも何ですが、いわゆる秀才型の人間でした。

小学校から学校の成績はそこそこ優秀で、隠れてゲームをやりながらの勉強で旧帝国大学に合格して卒業し、そこそこ大きな会社へ就職しました。

恋愛ベタな非モテで年齢=彼女いない歴という欠点こそありましたが、それ以外はごくごく普通に楽しい人生を送ってきたと思います。

そんな僕も気がつけば結婚をして、子供を授かり、社内でも普通にキャリアを積んでいきました。まあこのまま無難な人生を送るのだろうなと思っていました。

一方僕には「絶対にこれだけはやるんだ」という燃えるような情熱は持ちあわせていなかったので、いわゆる「普通」であることが正しいことで自分の道だと考えていました。

楽しい遊びを色々やり、普通の仕事をして普通の家庭をつくって普通に子育てをして、普通にそして真面目に生きていくのが僕の道なんだと、そう考えていたんです。

そんな僕の道には、

うつ症状を発症して職場で感情をコントロールできなくなり休暇を命じられるなどということは全く存在していませんでした。

ですがそれが現実に起きた。

その瞬間に、それまで僕が自分の道だと思っていたものは、幻想のように掻き消えて、僕の視界は完全なホワイトアウトに包まれてしまったんです。

うつ症状を発症した原因はいくつか考えられますが、まあありきたりな話です。

・慢性的な長時間労働
・睡眠不足
・職場内での精神的孤立
・家庭からのプレッシャー
・ギックリ腰の発症

原因はともかく、僕の道はこのことによって掻き消えました。

道が消えた僕が考えていたこと

その時に僕が考えていたことは何だったのか。

色々なことが頭の中に次々と浮かびましたが、総じて言うと

「自分は道を外れた落伍者だ」

ということでした。

・処理するすべき仕事を完全にこなせなかった。
・自分の感情をコントロールできなかった。
・長時間労働に耐えられなかった。
・前任者のような業務ができなかった。
・キャリアにバツが付いた。

与えられた仕事をこなせなかった事が悔しくてたまらなかったし、前までのように奮い立つ感情が全く湧いてこないことが悲しくてたまらなかった。

自分は落伍者で欠陥品だ。

そんな考えばかりが頭に浮かんでますます感情がコントロールできなくなった。
涙が止まらず、誰もいない寝室でひたすら嗚咽した。

もう元の道に戻ることは出来ない。

別の道もない。

自分が進むべき「普通の道」はもうなくなってしまったのだから。

そんなことを僕は一人で考えていました。

訪ねてきた上司が僕に示した道

休暇に入って2日目くらいだったと思います。

家でただ寝てばかりいた僕を所属長が訪ねてきました。

普段は物静かながらいつも目の奥が静かに光っている、穏やかな人格者だけど油断ならない・・・そんな風に僕は所属長のことを思っていたのですが、その人が不意に訪ねてきました。

「様子はどう?」

「はい。自分でも驚くくらい、気力が湧きません。今回は僕の弱さのせいで職場の皆に迷惑をかけてしまい、本当にすみません」

「もとみくん」

「はい」

「今は仕事のことは考えなくていい」

「えっ?」

「君が抱えていた仕事は他の皆で手分けしてやれるから、全然気にしなくていい。だから仕事のことは考えなくていい」

「そうですか・・・」

「それよりね。君は別のことを考えたほうが良い」

「別のこと?

「うん。あと定年まで二十年以上ある期間を、無事に最後まで勤められるようにすることだ」

「・・・?」

「でもその前に、まずは休むことだ。仕事のことを考えたら休むものも休めなくなる。だから仕事のことは考えなないようにしよう」

「・・・分かりました」

「とりあえず1カ月程度は休んだらどうかな?」

「長すぎると思うので、まずは2週間で様子を見させてください」

「わかった。そのとき様子を見てまた考えよう」

上司が帰ってから、僕は不思議な気持ちに捕われました。

気分そのものがとても重く、思考は全く捗らない状態でしたが、今まで考えたことがない物の見方を提示されたことに戸惑いを覚えていました。

”定年まで無事に勤め上げることを考える。”

馬鹿馬鹿しい。ただ組織にすがって生きるようなものじゃないか。
なんてダサい生き方だ。

なぜそんなことを所属長が僕に言うのか?
僕はただ戸惑いを覚えただけでした。

何より思考が少しもまとまらなかった。

ですが、それから何日か経って思考の鮮明さを少しずつ取り戻してきた頃、ある一つの考えが浮かんできました。

今まで道だと思っていたものこそが幻想だった

おそらく所属長が言おうとしていたのはこういう事だったと思います。

”君には妻も子供もいるのだから、自分のため、家族のため、長い目で見て仕事を続けていくことが大事になると思う。そのためには休むことも必要だし、負担をかけすぎない仕事の仕方も少しずつ考えていけばいい”

僕はそれまで、普通に真面目に生きることが自分の道だと考えていました。

それに加えて「無理をしてでも真面目にやるのが当たり前で普通」という考えを持っていました。

それからすると所属長が言う「定年まで勤めることを優先する」やり方というのは、どこか不真面目な方法に見えました。

でも、所属長が真面目な顔をしてそれを僕に話すということは、それも一つの道だということ。

そんな道も人生にはありうる。

だとしたら・・・?

僕はここで気付きを得ました。

僕が唯一の道だと思っていた「普通に真面目に生きる」という道は確かに一つの道だけれど、進むべき唯一の道ではなかった

むしろ自分が「唯一の道」だと考えていたことこそが幻想だったんだということに気づいたんです。

僕は急に目の前を覆っていた霧が晴れた気がしました。

道は目的地に行くための一つの手段

それから僕は2週間後に仕事に復帰しました。

といってもうつ症状は完全に回復した訳ではなかったため、条件付きでの復帰でした。

仕事の難度を軽くされ、時間外勤務は一切不可。僕の状態を考えると当然の措置でした。

少しずつ僕は状態を取り戻し、やがて仕事も通常通り任されるようになり、今も同じ職場で仕事をしています。
再びハードな時間外勤務もこなせるようになりました。

うつ症状に至ったことは僕にとって大変な経験でしたが、その時に「自分が道だと思っていた道を踏み外した」ことで、人生の新しい捉え方が出来るようになったことはとても幸運な事だと考えています。

僕が一つだと思っていた道はただの幻想だということに僕は気付きました。

そもそも道は、現在地から目的地に辿りつくための一つの手段に過ぎません

なのに気がつけば、道に沿って進むことだけが人生の全てのような錯覚に僕は陥っていました。道のとおりに進むことが価値のあることであり、それを踏み外すと人生は終わるとさえ思っていました。

考えてみれば、本末転倒な話です。
でもこれは決して僕だけの話ではないようにも思います。

僕は目的地にたどり着くための「道」があるという幻想を持ち、その道のとおりに進むことこそが人生なんだと思っていました。

そんな考えのようなものを持っていませんか?

人は道のために生きるのなく、
人はその目的のために生きるもの。

人生の「道」は現在地から目的地に向かって開けているのではなく、目的地に向かうその途中で、後ろを振り返った時に初めて見えるものなのかも。今はそう考えています。

まとめ

今回は「道」という言葉から自分の人生を振り返り、転換期になった一つの出来事を書きました。

道という言葉の印象深さを改めて感じました。いやー、書いていて辛いことをもう一度追体験したけど、書いてみてよかったです。

それではまた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

あ、倉田典善先生の教えが読める「帯をギュッとね!」のリンクを最後に貼らさせていただきます。

 

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