ブログをはじめた理由(2)コンプレックスに悩み続けた日々を送り、苦しんできた

この記事では、私自身のコンプレックスに悩み続けた日々について簡単に紹介します。

著者はどんな人間?

著者スペック1

・年齢約40歳、男性
・妻あり
・子供3人
・地方在住サラリーマン

こう書くと、どこにでもいそうな普通のおじさん。
表面だけを書くとそうなりますね。

ですが内面は実にドロドロしたものです。

著者スペック2(内面一部)

・悩み続ける苦しい暗闇の日々を送っていた(主に20代)。
・それを原因として、一時は死のうと考えていた。
・今も欠落を抱えながら生きている。

私が見ないようにしておきたい、出来ることならそっとしておきたい箇所たちです。
日常生活の中ではこれらをひたすら隠してきました。
ですがこのブログでは、これらを出来る限り掘り出して、晒していきます。

私が何にコンプレックスを感じ、思い悩み、苦しんできたか…。
とんでもなくマゾな行為。
耐えられるかどうか不安が一杯です。

最大のコンプレックス「彼女いない歴=年齢」

正直、馬鹿みたいな話です。
私の最大のコンプレックスは、「異性(女性)と一度も付き合ったことがない(※)」というものでした。
(※)今は「異性と付き合った経験がきわめて少ない」という事に変化しました。

皆さん、”ねるとん紅鯨団”というテレビ番組を知っているでしょうか?
1987年〜1994年にフジテレビ系列で放送された、とんねるず司会の集団お見合い番組です。
「ナイナイのお見合い大作戦!」が近い感じです。

この番組の中で、出演者のプロフィールに彼女(彼氏)いない歴が必ず紹介されていました。
それが1〜2ヶ月だと「短いなあ」という話になり、2〜3年だと「普通だね」という扱いになっていました。

それで、時々出てきたんですよ。
「彼女いない歴=年齢」
という男が。

この番組を見ていたのは、私が小学生〜高校生の頃でした。彼女なんていませんでしたが「大学生くらいになったら普通に出来るだろう」と思ってましたので、無邪気に笑っていたんですよ。

「こんな年齢になっても彼女がいないなんて、ダメ人間じゃんか」
「産まれてから今までの間ずっと童貞かよw」
って。

さて、そうこうしている内に私は高校を卒業しました。
しかし彼女は出来ませんでした。
大学に行きました。
しかし彼女は出来ませんでした。
就職して数年が経ちました。
しかし彼女は出来ませんでした。

はい。
「彼女いない歴=年齢」の大人の出来上がりです。
一度も異性と付き合うことがないまま自動的に年齢だけを重ねて行き、気が付けばテレビで嘲笑の対象にしていた「ダメ人間」に自分がなってしまっていたんです。
その事実に愕然としました。

ヤラハタという烙印

当時は「ヤラハタ」という言葉が当たり前のように使われていた時代でした。
「ヤラハタ=やらずのハタチ」つまり20歳になる前に異性を経験するのが当然であり、やらないまま20歳を迎えたような人間は嘲笑の対象にされる。
社会にはそんな空気感があったように思います。

だから、20歳を迎えた時には「ヤラハタ」になってしまったことがあまりにも哀しすぎ、ただただ悔し涙を流しました。成人になったことなんてクソ食らえでした。
失格者の烙印を押されたに等しいこと(と認識してしまっていた)でしたから。

周りの友達に「ヤラハタ」が誰もいなかった事実も追い打ちとなりました。
どうして自分には彼女がいないのだろう?
ヤラハタはまだいい。けれども「ヤラミソ」になったら一体どうしたらいいんだろうか?

こんなことをグダグタと考える毎日が続きました。

童貞の呪い、そして死を考えた

この「ヤラハタ」つまり「童貞」という呪いは強力でした。

童貞とは、当事者にとっては「性行為をしたことがない男性」という意味だけの言葉ではありません。
「女性に相手にされる価値がない男性」というレッテルが自動的に付加されるという、とても恐ろしい意味を持つ言葉なのです。

自分自身の身体能力、容姿、学歴、仕事など大抵のことは、「普通」または「普通以上」のどれかに当てはまると思っていました。
なのに、童貞。
でも、童貞。
つまりは価値がない人間。

童貞という呪いの言葉が、シンプルな論理で自分自身のことをキリキリと締めつけてきました。
「お前のことを好きになり、身体を預けてもいいという女性は一人もいないんだろう?」
社会全体から見放されたかのような喪失感が全身を包み、時には呼吸をすることすら苦しくなりました。

仕事に一所懸命に取り組んでも、周囲の人の期待に応えるような働きをしても、いつになっても彼女ができない。
気持ちを伝えても受け入れて貰えない。

一体、何故だろう?
それは自分が価値のない人間だから。
価値がない人間だとしたら、生きている価値も無いのではないか。

いつしか私の脳裏に死という言葉が浮かび始めました。

さよなら童貞、しかし悩める日々は続く

追い込まれた私が当時考えたこと。それは、

「30歳までに彼女が出来なければ死のう」

という決め事でした。
でもそれは生きる価値が無いことを自分自身で認める行為です。
簡単に言えば「負けを認める」という事でした。それは無性に悔しくもありました。

だから最終的には、
「とにかくやるだけやって、それでも30歳までに彼女が出来なければ死ぬ」
という誓約を自分に課すことにしました。

本気でした。
本気で死ぬつもりでした。
でもそうなると不思議なもので、「死にたくない」という本能なのか、苦しみを抱えながらも「何とか前に出よう」という衝動が湧いてきました。

合コンで場数を踏む。
会話を盛り上げるコツを磨く。
盛り上がった相手を誘い出す。
2人でも楽しく場を盛り上げるコツを磨く。

失敗を何度も繰り返して、そのうちに少しずつ前進できて・・・
最終的にはこの誓約は果たされることなく露と消えました。
30歳まで残り1,000日を切っていたその日、生まれて初めて彼女という存在を得ることができたからです。

だから今も生きています。
最初に書いたように、今に至っては妻と3人の子供がいる「アラフォーパパ」というものになっています。

ですが、この20代の悩みの爪痕は大きな後遺症を残しました。
今でも「自分には価値がない」という考えや、「誰にも相手にされない」というような考えに囚われることがあります。

まるで自分の精神にぽっかりと深くて大きな穴が空いているようだ、と自分では考えています。
私はその穴を、埋められない空隙と呼びました。

普段は蓋をしていて気付かないが、少しの衝撃で蓋が割れてしまうと、とたんにその恐怖に心が囚われてしまう。
割れる幅が小さければ少しの時間で修復が可能です。
しかし大きく割れてしまった時には、自分を制御することすら出来なくなる。私は何度かこの蓋を大きく割ってしまい、その度に深い落ち込みに囚われてきました。

コンプレックスに悩み、苦しむ日々は決して終わりませんでした。

ブログをはじめた理由(3)ようやく、その答えと言えるようなものがうっすらと見えてきた

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