霧島もとみです。
前回の記事では「メンタルヘルス・マネジメント検定で学んだことで自分のうつ期を振り返る」という試みを行い、不調初期〜発症期までのことを書きました。
メンタルヘルス・マネジメント検定で学んだことで自分のうつ期を振り返る(1)不調初期〜発症期
これに続いて、今回は「うつ状態からの回復期」ということで、短い休養から仕事への復帰、その後の回復までを振り返ります。
うつ状態をどのように過ごして回復したのか、周囲はどんな風に対応したのかということについて、参考になれば幸いです。
まずは、休養になった直前から、回復までに僕に起きたことをお話しします。
短期休養になったきっかけから、復帰〜回復までの出来事
短期休養になった最後の引き金
前の記事のとおり、僕は精神状態の悪化から精神科を受診し、「うつ病です」という診断を告げられることになりました。
僕はこの診断に静かなショックを受けていました。
自分の中から仕事や能力など、あらゆるものへの自信が急速に消えていくのを感じながら、心の中の支えのようなものが抜けたような気がしたんですね。
結果的に、これが休養の引き金になりました。
精神科を受診したのは午前中のこと。
その日、午後からは仕事に出ることにしていたのですが、病院を出たあとも僕は自信を取り戻す事ができませんでした。
不安定な精神状態のまま、いつもの仕事場に着いてロッカーにカバンを入れた時、そこで僕の自信喪失と不安が一気に溢れ出しました。
「自分はもうだめかもしれない」
大きな不安に呑み込まれ、うずくまったまま涙が止まらず、そのまま僕は動けなくなってしまいました。
それを上司が見つけ、僕はすぐに帰宅させられることになりました。
自信を失った状態は翌日も続き、仕事へ向かう事ができませんでした。
その日、管理監督者から連絡があり、しばらく休むように告げられました。
こうして僕は休養することになりました。
僕のうつ病との向き合い方
病院で「うつ病」と診断を受けた時、病院から薬が処方されました。
結果から言うと、僕はこの薬を飲みませんでした。
自分のうつ病とどうやって向き合えばいいのか?
僕が最初に選んだ方法は、休養を取るということでした。
まずは休養でどの程度回復するのかを見たいという考えがあったからです。
うつ病になった時には、第一に必要なものが休養で、次に投薬治療を行い、病状に応じて他の治療を行っていく手段が一般的とされています。
うつ病の治療に投薬は必要です。
僕が投薬治療を行わずに回復に至ったのは、おそらくうつ病としては軽度だったからだと思います。
もちろん休養で回復が見られなければ、次は薬を飲むつもりでした。
休養中の過ごし方
この休養は、結果的には2週間程度で終わることとなりました。
休養に入って数日後、管理監督者が僕の自宅を訪れて次のような話をしました。
- 僕の仕事上の責任を縮小する。
- 仕事のことは今は考えては駄目。
- 人生はまだ先が長い。長期間働き続けることを考えるように。
- まず1ヶ月程度休んだらどうか。
僕は1日でも早く復帰したいことを伝えましたが、やんわりと「そんなことを言うのはまだ早い」「とにかく今は休養」ということを繰り返し諭されました。
そうか、こうなったら何も考えず休養してみよう。
まずはひたすら眠りました。
これまでほぼ毎日3〜4時間程度の睡眠時間でしたので、慢性的な寝不足状態でした。そのためかどうかは分かりませんが、自分でも驚くくらい、ずっと寝ていられました。
気分は常に落ち込んでいたため、快眠という訳ではありませんでしたが、体を十分に休めることは出来ました。
それが3日くらいは続いたと思います。
そうしたら少し寝るのに飽きてきました。
気分は落ち込んでいるため、何かをしようという感情は湧いてきませんでしたが、自分の状態に飽きを感じていました。布団で横になったまま、何をしたらいいのか、自分は何がしたいのか、ぼおっと考えていました。
その時、レコーダーに録画していたテレビ番組のことが浮かびました。
「時間が出来たら後で見よう」と思って録画していたものの、結局見る時間を取ることができず、山積みになっていた番組がかなりあったことを思い出したんです。
そこで見たのが、「半沢直樹」でした。
「倍返しだ!」が流行してから時間はずいぶんと過ぎていましたが、このドラマは予想外に休養中の僕に刺激を与えました。
「統合失調症で1年間休職した」近藤という登場人物がいたからです。
周囲にお荷物扱いをされ、病気の後遺症にも苦しむその姿に僕は休養中の自分自身を重ねたんですね。
近藤が苦しんでいる時には、胸を締め付けるような苦しみを覚えました。
その近藤が、同期の半沢直樹に力強く励まされていくうちに、やがて迷いを振り切り、覚悟を持った力強い生き方をするようになるんです。
僕は涙が止まりませんでした。
僕にももう一度やれるかもしれない。そんな希望を見せられた気がしました。
そうこうしているうちに1週間が過ぎ、随分と気分が落ち着くようになってきました。
休養と睡眠の効果を実感しながら、僕は少しずつ仕事のことを考え始めました。
自分に変化が起こっていたんです。
以前は「仕事をとにかくこなさなければ駄目だ」と考えていたのですが、
「自分がどうやって仕事と向き合っていくべきなのか」
「自分の状態を悪化させないようにして、どこまで仕事ができるのか」
と考えるようになっていました。
うつ病の経験は、自分の仕事に対する自信を喪失させました。
しかし休養をすることで少し冷静になり、「そうは言っても自分には一定水準の能力は間違いなくある」と考えることが出来るようになっていました。
そうなると、大事なのはバランスだなあと。
休養をして少しうつ状態は軽くなったものの、全開でアクセルを踏んでいける状態じゃないことは明らかでした。しかしアクセルを踏めば、前に進む力はある。
そうなるとどの程度アクセルを踏んでいくのか、踏んでいけるのか、それを見極めていかないといけないなあと。
これは、仕事をしないと分かりません。
休養開始から1週間が過ぎた頃、僕は次のような状態でした。
- 体調は悪くない。
- 気分の落ち込みは大分改善された。
- 仕事の事を考えると少し暗い気分になるが、以前ほどではない。
僕は、仕事に戻れる気がしていました。
勿論「よっしゃー、回復したし、もう全然OK!!」という訳ではありません。
むしろ後ろめたい気持ちが強かったです。
抱え込んだ仕事を手放したこと、職場で泣き崩れるという醜態を晒したこと、うつ病で休養を取ったこと、それらを考えると「どんな顔して仕事に行けばいいんだ・・・」と暗い気持ちにならざるを得ませんでした。
でも、一方では仕事に戻れる気がしていたんですね。
管理監督者から、仕事の責任を縮小するなど、職場環境の改善の提案を受けていたことも大きかったと思います。
僕は管理監督者と連絡を取り、2週間で休養を終えて仕事に戻ることにしました。
仕事に復帰してからの状態
仕事に復帰する時の条件を僕はいくつか課せられました。
- 困難案件は対応しない
- 時間外勤務はしない
- 期間はとりあえず3ヶ月
僕に対してはうつ病が進行しないよう負担を減らすという配慮だったと思います。
逆に周囲に対しては、僕が対応しきれないところをサポートするように指示を出していたということですね。
僕はこの条件をありがたく受け入れました。
仕事に戻ってみると、周囲は僕が考えていたよりも普通に心配してくれていました。それに腫れ物に触るような対応もありませんでした。
僕は、正直ほっとしていました。
そんな中、僕の状態は、やはり「まだまだアクセル全開では踏めない」というものでした。
少し難度の高そうな案件や、量のある案件を目にすると、休養に至った時の記憶がよみがえり、たちまち自信が無くなっていきました。
まだ自分の状態は以前には戻っていないことをはっきりと自覚しました。
しかし一方では、そんな状態でも、自分がある程度の仕事が出来ることは確認できました。
もう一度、自分に出来ることからやっていこう。
そう考えながら毎日を過ごし、僕は3ヶ月を乗り切りました。
その後の回復状況
僕が「回復したなあ」と感じたのは、さらに1年が過ぎた頃でした。
それまでは常に「アクセルを踏みすぎないように」と意識して、例えば自分がやった方が早いし適切だと思えるような案件でも自分から引き受けることはせず、自分の仕事をやりきることに専念していました。
まずは自分の仕事をやりきること。
それを重ねることが、自分への自信を積み重ねていくことにも繋がったんだと思います。
そして慎重とも思えるくらいに、自分にブレーキをかけて、過度な負荷がかからない状態を1年3ヶ月間という長い期間つくったことが、回復に至った大きな要因だと考えます。
うつ病の回復には、一般的に長い期間が必要になることを今回の検定試験で学びました。
少し状態が良くなったからといってすぐに自分を追い込まず、慎重な付き合いをしたことが良かったことが良かったんだなあ、と改めて感じました。
なお後日談として、その後、再度のハードワークな期間が僕を待っていました。
休養に至ったときと同等かそれ以上のハードワークでしたが、前回の経験を活かし、なんとか切り抜けることができました。
やれやれでした。
以上が、休養から回復までに僕に起きたことでした。
ラインケアの観点から振り返る
では僕のうつ病から回復までの一連の流れを、ラインケアの観点から評価してみたいと思います。
僕が把握していない管理監督者の動きはあったと思いますが、当事者目線からのみで評価することにします。
休養に至るまでの間
ラインケアはほぼ機能していなかったというのが当事者としての見方です。
休養に至るまでの間に、メンタルヘルス不調の兆しは僕の行動に見て取れていたはずですし、そもそも100時間レベルの時間外労働が続いている時点で要注意です。
しかしながら管理監督者や直属の上司から僕の状況を確認するような話は一切ありませんでした。
日頃から部下のサインを見逃さず、必要とあれば対応ができるように心がけて欲しいものです。
もちろん時間外労働が多かったことから、保健師や産業医による健康相談は受けていました。
「少し状態が悪そう」とか「休んだほうがいい」とか言われたりしましたが、当事者としては目の前の仕事をこなすことが優先だったため、あまり参考にはなりませんでした。
正直何のためにやっているんだろう?と思っていましたが、後になって振り返ると、僕が休養を取ってからの管理監督者の動きを見ると、保健師や産業医と連携をしていた可能性が高そうです。
この点については、機能していたと考えて良さそうです。
補足:セルフケアは全くできていなかった
ラインケアは不十分だったというのが僕の見方ですが、それに加えてはっきりしているのは僕自身のセルフケアが全く出来ていなかったということです。
これも休養に至った大きな要因でした。
とにかく目の前の仕事を片付けることだけを考えて、睡眠時間や自分の健康は全く気にしていませんでした。
体調が次第に悪くなっていることは自覚していながら、それに対して何のケアもしていませんでした。
もしセルフケアを意識していたなら、コーピングなど、自分自身でも改善のためにやれることはあったと思います。
この点もしっかり覚えておきたいと思います。
休養後の対応
この点については、十分に管理監督者としての責務を果たしていたと評価できます。
- 休養を取るように勧めた
- 休養中は連絡を取って状態の把握に努めた
- 「眼の前の仕事」から「自分の長期的な未来」へと思考の視点を変化させた
- 責任範囲を縮小することでストレスレベルを低減する取り組みを具体的にした
- (おそらく)産業医やヘルスケア部門と相談して休養復帰後の配慮を行った
休養をしたことで僕の状態悪化は防がれ、回復への道を進み始めました。
その他の取り組みも、メンタルヘルス・マネジメントの観点から見て必要なものだったと言えます。
実際に職員が不調をきたしたことで、危機意識が生まれたのでしょうか?
これらのラインケアの取り組みもされたことで、僕はメンタルヘルス不調から回復に進むことができました。
これがもし軽度なメンタルヘルス不調の時点で変化に気付き、ラインケアとして対応を取れていたら、もしかすると僕は休養が必要なまでに状態が悪化していなかったかもしれません。
もちろん僕自身のセルフケアも大事だったでしょう。
メンタルヘルス・マネジメントの取り組みの重要性を再認識できました。
今後はメンタルヘルス・マネジメント検定2級で得た知識を、仕事や自分の人生に活かしていきたいと思います。
以上が振り返りでした。
メンタルヘルス・マネジメント検定試験で基本的な知識を得ることで、これまでは単純な経験でしかなかったものが、「メンタルヘルスの観点から見たらどうなのか」という見方が出来るようになり、勉強になりました。
検定試験を受けて良かったと思っています。
少しでも興味があれば、ぜひ勉強をしてみることをおすすめします。
思わぬ長文になってしまい恐縮です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。