【日記】執着の手放し方は、全部焼肉が教えてくれた

一時流行したタイトルの付け方を使ってみました。

流行しましたよね。

ディズニーランドが教えてくれたとか、

ゴールドマン・サックスで学んだとか、

タイトルに権威的な何かをぶっこんでくる手法。

今こそ「へー」としか思いませんが、若かりし頃は「えっ。なにそれスゴそう」と無邪気に喜んでいたものでした。

 

さて、焼肉です。

焼肉といえば私の中でも贅沢な外食のベスト3に入る食べ物で、行くとなると俄然気合が入ります。

今日はどの肉を注文してくれようか…?

と行く前から悩み、

焼き始めてからは

「この肉は俺のだから絶対に手を出すなよ!?」

とイキり顔で網に向かいます。

もしも誰かがそれに手を出そうものなら

アッ!!バッ!!オニッ!!あっ、バカっ、俺の肉だぞふざけんなこの野郎)」

と言葉にならないうめき声を上げていたものでした。

しかし。

今日、

私は、

その執着から完全に解き放たれました。

例えば、お金の価値も知らない我が子が注文した炙り和牛握り寿司を食べるのを目の前にしても、一切心は揺れませんでした。

更に調子に乗って1貫980円するサーロイン1枚炙り寿司を注文されても、心は一切揺れませんでした。

こんな贅沢で美味そうなものを目の前で食べられても、黙々と皆のために肉を焼き続け、自身はホルモンやセンマイを中心に食べ進めていたのです。

凄くないですか?

言うなれば、

涅槃の焼肉ですね。

そう。焼肉への執着を手放すことで、私は涅槃の境地に至っていたのです。

こんなに心安らかな焼肉は初めてでした。

なぜ今まで私は、たかが「焼肉」にあんなに執着していたのだろうか。

肉を焼きながら考えてみたところ、

それはつまり、

自分にとって大事なものと、そうでもないものの区別が出来ていなかったから。

だからきっと、目の前で焼かれていく「旨そうで、高そうなもの」に心を奪われていたのでしょう。

それが執着を生んでいた。

肉を焼いているつもりで、実は、

自分の心を焼いていたのです。

って、

そんなわきゃーない。

でも、本当に執着が一つ減ったな、と感じた不思議な焼肉でした。

それが良いのかどうかは分かりませんが、一つの変化だといえるでしょう。

 

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