こんにちは、霧島もとみです。
太宰治の小説「斜陽」を読んだ感想を紹介させていただきます。
昭和22年に発表された太宰文学の代表作といわれる小説で、
”真の革命のためには、もっともっと美しい滅びが必要”
”恋と革命とに生きる新しい人間の出発を模索”
がテーマだとされています。
古い作品でありながらとても読みやすく、当時の空気間、雰囲気の中にとりこまれるような魅力を感じる作品でした。
「斜陽」の読書体験をまとめておきます。
「斜陽」はこんな話
主な登場人物は、爵位を持つ落ちぶれた貴族一家の母・姉・弟の3人です。
父を亡くした3人は残された財産を切り崩すことで生活をしています。収入を得るような生産的活動は一切していません。
姉は一度離婚して戻っての実家暮らし、弟は元麻薬中毒・阿片中毒で仕事もせずブラブラ。母は「あなたたちと一緒ならそれでいい」という感じ。なんとも退廃的な一家です。姉はこの生活のことを「地獄」と表現しています。
やがて母が病気で倒れると、姉は妻も子もいる不良小説家に一方的な横恋慕をし、かたや弟は自分自身の存在に耐え切れず自殺。
姉は横恋慕の結果子を授かり、不良小説家に手紙を書く…。
という凄まじくアンニュイな話です。
驚く展開はありません。ただただ退廃していく生々しい姿を見届けるという体験ができます。
「斜陽」で考えたこと
姉・かず子がとにかく危険
主要な登場人物の一人が姉・かず子です。物語はかず子の二人称で語られるので主人公といってもいい存在かもしれません。
このかず子がとにかく危険です。
ヤバすぎです。
どれくらいヤバいのか、エピソードを少し紹介します。
・理解不能な「恋」に溺れ、妻も子もある男性に、現代のストーカーも真っ青な長文かつイタ文の手紙を連続して送り付ける。
・相手のことを手紙の中で突然「M・C」と謎のイニシャルで思わせぶりに呼ぶ。
・ろくに会ってもない人間に勝手に恋して子供まで作ってしまう。
・子供ができたら相手のことを「マイ・コメデアン」と嘲笑する。
どうですか。ヤバくないですか。もう最初の手紙の時点でアウト!
即警察に相談するレベルのヤバさです。
手紙で自分のことを謎のイニシャルで呼ばれるのも怖くないですか?しかもこの「M・C」というイニシャルの意味も手紙ごとに違うものが添えられるんですよ?
マイ・チェホフ(ロシアの作家)
→ただのM・C
→マイ・チャイルド
→マイ・コメデアン
ああ怖い!
ひたすら自分自身のことしか考えず、一方的で、論理性も破綻している。
「不良小説家の子供が欲しい」というのが彼女の恋であり革命という事なのかもしれませんが、それにしても怖すぎます。
彼女の行動から何を感じればいいのか、かなり迷うところです。
子供を授かることで、かず子の憧れの存在である「母」に自分自身が一体化できるという願望が考えられますが、それだけではないでしょう。読み込むことで何か見えてくるかもしれませんが、今はとりあえずこれで。
弟・直治の自殺の理由とは?
弟・直治は母が亡くなった後に自殺します。
弟は学生時代に麻薬中毒になり借金を重ね、戦争に出征しては阿片中毒になり、戻ってきてからは仕事もせずに酒を呑んでばかり…というまあろくでもない人間です。
自殺の理由は彼の遺書に記されていて、彼が「貴族」であったことが主な理由でした。
なぜ貴族であることが自殺の理由になったのかというと、貴族であることが彼のかけがえのないアイデンティティでありながら、実際には貴族らしい生活を送れていなかったからでしょう。
貴族という属性を持ちながら、実際には貴族の集団に入れなかった疎外感。
かといって一般大衆にも染まり切れなかった疎外感。
この「自分が何者でもない」「本来あるべき集団に属せていない」という空虚な感覚が彼の精神をむしばんでいったことが、彼の遺書から読み取れます。
分かりやすくいえば、もののけ姫のサン状態と言えるでしょうか。
人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?
ちょっと違うかな…?
太宰治自身が富豪の子供であり、自殺未遂者(執筆当時)だったことを考えると、直治には太宰自身の人間性が色濃く表現されていると考えられます。
集団に属していないという感覚が人の精神を病む現象は昔から変わらないのだなあということを、彼の自殺のエピソードから感じました。
*共感できるところは少ないが…
全体を通して共感できる点は少なかったです。
当時と時代背景が全く違いますしね。
生活感や血肉の通ったところが感じられず、どこか空虚な感覚が漂う本作に感情移入しづらかったのかもしれません。
感じたことは、
こういう時代があったのだなあ。
こういう時代で、人間はこういう一面を表すのだなあ。
という事です。
身勝手な幻想にとらわれ、奇異な行動を理論高々しく行い、破滅に向かうという自分自身の姿そのものを吐き出したかったのかもしれない、とも感じました。
この作品は発表されるやいなや多くの人の心を捉え、「斜陽族」なるブームまで巻き起こしたそうですが、その理由は今の自分には分かりません。
また改めて読むことで気付きが得られるかもしれませんが、今はここまでですね。