迷路の達人(ショートショート)

迷路の達人 タイトル画像

僕は迷路が好きだ。

好きというより愛していると言っていい。それも執着的な愛だ。
この執着は、自宅での在宅ワークに忙しかった母が、幼かった僕に「えほんめいろ」を買い与えた時から始まったそうだ。僕はすぐに夢中になっていたらしい。更に聞くところには、僕を妊娠している間に母が暇つぶしに迷路と数独パズルをよく解いていたというから、ひょっとすると胎児の時から既に始まっていたのかもしれない。

僕がこの世に生まれ落ちてから17年が過ぎて、そんな中、僕の迷路歴は実に16年を超える。16年といえば小学生に入学した子供が大学まで卒業できるだけの時間だ。僕はその年月の大半を、迷路を解くという行為に費やしてきて、そんな僕自身を、押しも押されぬ迷路の達人だと自負している。

そんな達人の僕にも悩みがある。

それは、僕を満足させる迷路に出会えなくなってしまったことだ。16年を超える迷路との格闘は、僕に特殊な能力を纏わせた。それは「眺めるだけで迷路の回答ルートが見えてしまう」能力だ。迷路をこの手にとり、意識を軽く集中させるだけで、入口から出口までの回答ルートがすぐに浮かび上がり、ぼうっと淡く光るのだ。それは九九を覚えた小学生が「にさんがろく」と呟くように、あるいはボテボテの内野ゴロを捕った二塁手が一塁へ送球するように、とても簡単に実現する。だから大抵の迷路は見るだけで終わってしまい、何の面白みも、余韻も、味わう事ができない。フラストレーションが溜まる一方だ。

迷路の快楽は、混迷と解放にあると思っている。見えている出口に辿り着けないもどかしさを抱え、道程を繰り返し壁に塞がれ、近づいているのか遠ざかっているのかすら判らない程の試行のホワイトアウトの中、混迷は極限へと圧縮されていく。そうして無数の選択の果てに回答ルートに辿り着いた瞬間、混迷が一瞬の内に解放され、強力な快楽へと昇華するーというのが僕の持論だが、その最初の混迷が僕には長く味わえないでいるのだ。

国内外を問わず、色々な迷路に手を出した。だがどの迷路も僕を満足させてくれなかった。市販のものではダメだと考えた僕は、次に、自分で作り始めた。プログラミングによる自動生成にも取り組んだ。突き詰めれば、迷路は、その瞬間に存在する地点からどれだけの分岐が発生し、かつ、それぞれの分岐の先が開いているか閉じているかという命題の繰り返しであり、地点と分岐の数を増やせば増やすほど難度はあがるのだが、この処理にはプログラミング処理が最適だと考えたからだ。だが紙の上ーつまり二次元で表現できる迷路なら、いくら複雑に作っても結果は同じだった。すぐに回答ルートが「見え」てしまう。感動を覚えることも特には無かった。

三次元迷路も考案した。最初は手探り感覚があって面白かったが、やがて慣れてしまい、時間の問題だった。それに残念なことに、そして最大の問題だが、三次元迷路には僕は何も興奮を感じることができなかった。一枚の紙の上に表現しきれないことがその要因ではないかと自分なりに整理し、僕には二次元の迷路しかないのだなと妙な偏屈さを自覚した。

どこかにこの僕を満足させてくれる迷路はないものか。その入口から、数々の行き止まり、分岐、そしてやがて辿り着く出口までの間において混迷の芸術を余すことなく表現し、愛させてくれる迷路はないものか。そうやって悶える日々が続いていた。

ある夕食の時、僕は耐えられない思いを母に吐露した。
「ねえ母さん。僕はこれまでに色々な迷路を解いてきたけれど、どれもすぐに答えが見えてしまう簡単なものばかりだよ。もうねえ、答えが見えない迷路は人生ぐらいだなって思うんだ」
少し考えた様子の母から帰ってきた返事はつれないものだった。
「違うと思う」
「どうして」
僕は反射的に聞いていた。母は続けた。
「迷路っていうものは、明確な入口と出口があって、かつ、そこに辿り着く回答ルートが必ずあるものでしょう。人生は、入口は明確だけど、出口は無限にあって、さらに言えばどの出口が正解かなんてことも誰にも分からない。なら、迷路とは言えないわよね」

僕は唸るしかなかった。母は慰めるように言った。「大丈夫、あなたを満足させる、あなたでも簡単に解けないような迷路はきっとある。そのうちに出会えると思うわよ」
根拠のない無責任な慰めだと、僕はそのときには思っていた。

そしてある日、夕闇がかる学校帰りの商店街を通り過ぎようとした時のことだった。僕はとんでもないものに出会ってしまった。いつもの調子で自転車を走らせながら、前方の歩行者を避けるために右側を確認しようとした時に、「迷路の専門ショップ」と書かれた青白く光る看板が突然僕の目に飛び込んできたのだ。こんなもの、見たことも聞いたこともなかった。そもそも毎日のように通っているのに、今まで全く気付かなかった。二重の驚きを感じながら、僕はたちまち、錆びたブレーキ特有の甲高い音を静かな商店街に響かせ、夢中でその店に駆け込んだ。

中に入ると店内は少し暗くて、正面は背の高い棚が道を塞いでいて左右にしか進めない。天井は店舗にしてはずいぶんと低く、棚の上の狭いスペースからは、照明の光が漏れてぼんやりと輝いている。右には同じ高さの棚が続き、左にはレジカウンターがあり、そのカウンターの中には中年の男性が立っていた。

「あのう、迷路の専門ショップっていう看板を見たんですけど」
「いらっしゃい。そのとおり、うちは迷路の専門ショップ。今風に言えばセレクトショップというやつだ。迷路に関係のあるものばかりを置いているよ。入口近くの、幼児向けの可愛くて面白いものから、店内の奥深く、達人でもなかなか解けないような難しいものまで色々」
「へえ、達人でも解けないねえ・・・」
急に自分のことを言われた気がして僕は少し動揺してしまった。いや、高揚かもしれない。なぜなら僕こそが迷路の達人だからだ。
「ところで、なんでこんなに天井が低いんですか。ちょっと暗いし、お店が狭く感じられてどこか息苦しいですよね」
僕がそう言うとカウンターの男はにやりと顔を歪ませた。
「それはね、迷路は、狭くて息苦しいものだからだよ。実は、この店そのものも迷路になっているんだ。あ、でも、入口と出口は一緒だからね。ぐるうっと一周してここに戻ってくる」
男は正面の棚から右側に続く通路を指差した。
「あっちが入口。そこからぐるっと店内を歩き、うまく抜けるとこのカウンター前に戻ってくる。で、ここで商品の代金を支払うって感じだ。どうやっても戻れなくなったり、急にトイレに行きたくなったりしたら、手を挙げてヘルプを呼ぶといい」
「なるほど、わかりました。ありがとうございます」

僕は軽く会釈をして、男が指差した通路へ進んだ。左右は棚で完全に隠されていて、迷路と言われれば確かに迷路らしい造りだ。進むとすぐに、前、右、左と通路が別れた。左へ進むとまた分岐。どうやら本当に迷路になっているらしい。まずはこの迷路を解いてやろうと思い、とりあえず右や左へとランダムに進んでいたら、数分も過ぎない内にさっきのカウンターにもう戻ってしまった。なんだこんなものかと拍子抜けしている僕を見付けて、男が話しかけてきた。

「やあ、早かったね。その顔じゃあ物足りないって感じだ。そりゃあそうだよ、店の迷路は雰囲気作り、演出だから。一応、頑張ってはみたんだけど、どうしても店の大きさが限られているから限界はあってね。でも、ウチに置いてある迷路は間違いなく本物だよ。じっくり見ていくといい。あ、そうだ」
男はカウンターの中からペラペラの薄い冊子を取り出した。
「例えばこんなものが置いてある。これは新作で偶然ここにあったんだけど、本当は迷路の奥の方に陳列したい一品だね。サンプルとして見てみるといい」
「どうも」
受け取ると、緑の用紙に黒インクでタイトルが書かれただけの簡単な表紙で、なんだか安っぽい同人誌のような風体だった。表紙を捲ると、まず一つの迷路が書かれていた。一見難解そうな迷路だったが、軽く集中して入口から出口までの全体を見ていくと、たちまち回答ルートが淡く浮かび上がりはじめた。しかし、僕が落胆しそうになったその刹那、それは掻き消されるようにふっと姿を消した。
「えっ」
集中を続けるのだが、迷路上で色々なルートが次々に浮かんでは消え、現れては姿を消し、チカチカと点滅するばかりで全く形を成さない。初めての感覚と経験に僕は戸惑いと驚きとを隠せないでいた。

「驚いたろう。これは、視覚では解けないように迷路に工夫がされているんだ。感覚を惑わせる特殊な配列が隠されているからね。この迷路に挑戦するものは、迷路を指で辿っていくという原始的な手法だけで臨まなければならない。これだけ複雑な迷路を、だよ」

僕は興奮が湧き上がるのを抑えきれなかった。きっと妙な表情をしていただろう。勢い良く冊子を翻して裏面を見ると1500円と書かれていた。幸い、即決できる値段だった。
「これ、買って帰ります」

家に帰ってから、僕は貪るようにその迷路に向き合い、思う存分に混迷を味わった。ようやく出口に辿り着くと思ったルートが行き止まりの壁にぶつかった時には、心の底からの喜びと快感とが吹き上がり、嬉しさのあまり涙が溢れそうになった。

それから僕はその店に通いつめるようになった。男が言ったように、店には僕を唸らせる迷路が多く存在した。入口近くの棚こそ一般的な迷路が置かれているものの、分岐を2つ3つと進んでいけば、 僕の能力が通用しない迷路がたちまち現れてくる。僕は今までのフラストレーションの全てをぶつけるように、次々と迷路を買い、夢中で迷うという日々を過ごした。

ある日、僕は店内でまだ見たことがない新しい分岐に出会った。「この狭い店内迷路でまだ見てないところがあったのか」と不思議に感じながら、何気に曲がったその先で、僕は何だか怪しい物を見付けてしまった。いや、見つけるなというのは無理な話だ。なぜならそれは、通路を完全に塞ぐ形で掛けられていた、大きな紫色のノレンだったからだ。

ノレンには、白抜きで車両進入禁止の交通標識のマークと、その中心に数字の18が大きく描かれ、すぐ下には「18歳未満の立ち入りを禁止します。店主」という注意書きが添えられていた。ノレンは天井から膝くらいまでの高さを覆っていたが、その下に目をやると、奥にはまだスペースがあることが垣間見え、また、棚も続いているように見えた。これはアレか。いわゆるアレなやつだろうか。迷路の世界にも18禁なんてものがあることに驚くとともに、迷路専門店の奥深さに改めて舌を巻いた。

僕は17歳になってから既に半年が過ぎていたが、まだ18歳には届いていなかった。だが四捨五入すれば18になるわけで、覗いてみるくらいなら大丈夫だろうと高を括った。いや、単純に好奇心を抑えることが出来なかっただけかもしれない。一呼吸置いた後、おもむろにノレンに手をかけた。だがその途端、ウィッ、ウィッ、とけたたましい警告音が鳴り響き、同時に赤い回転灯が光り出し、店内は騒然とした雰囲気に一変した。僕は動揺してその場に立ち尽くすことしか出来なかったのだが、そうしている内に、目の前のノレンを押し分けて、向こう側から一人の男が現れた。
眼鏡を掛けた細身のその男は、店名の入ったエプロンを着ていたのですぐに店員だとわかったが、おもむろに僕に話しかけてきた。
「年齢を確認できる身分証を見せて下さい」
「あ、あの。今日は身分証を忘れたんですけど、ダメですか?買うときにはちゃんと見せますから、中にちょっと入ってみたいんですけど」
「年齢を確認できなければ、この中にはお入りいただけません。見た目では一切判断しませんので、ご了承ください」
「一切駄目?」
「駄目です」
取り付く島もない店員の態度に僕は断念せざるを得なかった。
「この奥には何があるんでしょうか」
「詳しくは言えません。しかし、こどもには挑む資格すら与えられない、迷路としては最も難解な一つに数えられるものが置かれてあることは、間違いありません」

それからというもの、僕の興味はあのコーナーの中に隠されている物に傾倒した。18歳以上でなければ見ることも許されない迷路とは、一体何なのか。試しに近所のレンタルビデオショップに行き、18歳未満立ち入り禁止区域への進入を図ってみたが、特に何の問題もなく足を踏み入れることが出来た。やはりあの厳重さは異常だ。警報の音や店員の頑な態度が頭の中で何度もリフレインして、「早く入って、確かめたい」という僕の焦燥感を掻き立てた。
誕生日がひたすらに待ち遠しかった。一日千秋の想いと云うものを生まれて初めて味わった気がした。だが、とにかく待つしか無い。次の誕生日を僕は我武者羅に待った。やがて季節が二度変わり、僕は晴れて18歳になった。

学校帰り、僕は興奮を抑えきれないままに、いつもの迷路専門店へと自転車を走らせた。店内に入ると、あのコーナーへと一目散に向かい、目の前に現れた紫色に白抜きのノレンに手を掛けた。また、ウィッ、ウィッ、とけたたましい警告音が鳴り響いたが、今日の僕には、まるでファンファーレじゃないかと思われた。僕は健康保険証をその手に持ち、万全の態勢で待ち構えていたからだ。すぐに店員がノレンの向こう側から現れた。
「年齢を確認できる身分証を見せて下さい」
「お願いします」
店員は健康保険証を一瞥すると「どうぞ、結構です」と道を譲った。

やった。僕は逸る気持ちのままに、目の前のノレンを潜り抜けた。既に警報音は鳴り止み、静かな店内に戻っていた。見渡すと、右の棚、左の棚、両方とも何も置かれていなかった。正面は、すぐ先を棚が道を塞ぎ、やはりそこにも何も置かれていなかった。僕は足を前へと進め、次に見えてきた迷路の分岐を左側へと曲がった。
そこは、行き止まりの空間だった。あれ、と思った。周囲の棚には、ここまでの通路と同じように、全く何も置かれていなかったからだ。僕は、戸惑いや焦り、怒り、そういった感情が頭の中でぐるぐる渦を巻くのを感じていた。何が18歳未満立ち入り禁止だというのか。ふざけた話だと、僕のこの瞬間に懸けたマグマのような情動が噴き出しそうになりかけたが、しかしすぐに、正面に見える棚の真ん中、腰の高さくらいの段のところに、一枚の小さな紙が置かれていることに気付いた。何も書かれていない、白紙の紙だった。葉書よりは小さく、スマホよりは大きい。もう一度周囲を見渡したが、やはり、他には何もないようだった。

一体この紙が何なのか。裏には何かが書かれているのだろうか。暗号の類か、それとも迷路をダウンロードできるQRコードでも印刷してあるのか。僕は意を決して、その紙を手に取り、一気に裏返した。妙にコシを感じたその紙の裏には、目を疑う文言が書かれていた。

「第四十七回衆議院 小選挙区選出議員選挙投票 注意 一、候補者の氏名は、欄内に一人描くこと。二、候補者でない者の氏名は、書かないこと。」さらにその横には候補者氏名と書かれた四角形の枠が描かれ、その中心には赤で「見本」の文字があった。初めて見るものだったが、僕は、ご丁寧に全ての漢字にふりがなが振られているこの紙が、選挙で使う投票用紙の見本だということをすぐに理解した。僕は呆然としたまま、その用紙を何度も見返した。

「どうです。その迷路が解けますか」

唐突な背後からの店員の声に反射的に驚いたが、それよりも馬鹿にされた腹立たしさが大きく、僕はすぐに聞き返した。「これのどこが迷路だっていうんですか」
「迷路ですよ。投票用紙という入口があり、立候補者から一人を選ぶという出口が決まっている。出口が複数あって、また、出口まで辿り着くための道程が書かれていないのが、普通の迷路と少し違うところですけどね。時間制限の中で混迷を楽しみ尽くすこともできるし、途中経過を一切無視して、いきなりゴールすることも出来る、しかし果たしてそれが本当の出口なんでしょうかねえ。どうです?そう考えると、なかなかに面白い迷路でしょう」

「だからって」

店員が話した理屈は、一応は理解できるものだった。感覚としてはピンと来ないものの、迷路であるという説明には根拠があり、それとなく筋が通っているようにも思えたからだ。しかし、どうしても腑に落ちない点が一つだけあった。

「何でわざわざ迷路の専門店に、こんなコーナーを作っているんですか。仰々しい18歳未満立ち入り禁止のノレンまで掛けて・・・」
「分かりませんか?」
僕の回答は沈黙だった。それを確かめた店員はにやりと笑って、こう言った。

「選挙広報ですよ」

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