霧島もとみです。
野菜にキュウリってありますよね。
中学2年生のある日のことです。僕はキュウリを食べながら、
「なぜこのキュウリのことを、キュウリって言うのだろう」
ということが真剣に分からなくなった体験がありました。
今日はその体験談を書かせていただきます。
これは誰かの役に立つとか、面白いとか、そういう記事ではありません。
でもふと、今の僕を構成している一つの原体験のような気が湧いてしまったので、書かずにはいられませんでした。
中学2年生のある日、僕から「名前」が消えた
特にきっかけはありませんでした。
中学2年生のある日、キュウリを食べている時に「これなんていう名前だったっけ?」と自分が名前をど忘れしていることにふと気付いたんです。
すぐに「あ、そうか、キュウリか」と思い出したのですが、一瞬遅れて
- どうして「キュウリ」と呼ぶのだろう。
- 「みかん」でも、「みどり」でも、「そば」でも何でも良かったはずなのに、なぜ「キュウリ」になったんだろう。
- この問題はキュウリだけじゃない。なぜ全てのものは、今の名前で呼ばれているのだろう。
という疑問が急に湧いてきたんです。
また同時に、全ての名前に対して急に不信感が湧いてきて、背筋が寒くなるような感覚を覚えました。
「自分はすべて騙されているんじゃないか?」
というような感覚だったかもしれません。
身の回りの物から、一瞬にして名前が消えたような錯覚すら感じたんです。
今思い出しても、不思議な、怖い体験でした。
名前は本質ではなく、ただの記号だという仮説に落ち着いた
それから僕は「名前」について考え込みました。
中学2年生が考え抜き、辿り着いた仮説がこれでした。
・名前は記号として呼び名を与えただけのもので、その物体の本質を指すものではない。
・呼び名は何でもいいけど、誰かが『これはキュウリだ』と決めたからキュウリになった。『みかん』『みどり』『そば』なんでも良かったけど、たまたま『キュウリ』に決まっただけなんだ。
とりあえずこの仮説で整理は出来て、僕は落ち着きを取り戻しました。
しかし、
「なぜこんな曖昧な記号を、皆は何の疑問もなく、当たり前のように使っているのだろう?」
という違和感がそれ以降ずっとしこりのように残っています。
今もその感覚は完全には消えていません。
この体験以降、僕から失われたもの
この体験をしてから、僕の認識に明らかな変化がありました。
それは3つあります。
1つ目は、「名前」というものを疑いなく受け入れることが出来なくなったことです。
僕はこの体験をする前は、何の疑いを持たずに「キュウリはキュウリだ」と認識していました。
それが、ふとした自分の思いつきから根底を揺さぶられてしまい、「名前」というものをストレートに受け入れることが出来なくなってしまったんです。
上手く言葉に出来ないのですが、
「キュウリと呼ばれているけど、これは本当にキュウリなのだろうか?」
というような不信感を常に持っている感じです。
以前は「これがキュウリなんだ!なるほど!」というように、手にしている物体と、名前とがストレートに認識の中で繋がっていたと思うのですが、それが分断されてしまったんです。
2つ目は、名前の記憶力が落ちたことです。
特に人の名前で顕著でした。
名前に対して疑念を持つようになってしまったからなのか、以前と比べてモノの名前を覚えるのが苦手になりました。
映像は浮かんでも名前が出てこない。
単純に全体の記憶力が低下しただけなのかもしれませんが、この体験の前後で変化を自分で感じていたので、何か認知のプロセスに変化が起こったんだと考えています。
3つ目は、モノに対する新しい感覚が芽生えたことです。
以前は、「キュウリ」という名前に安心し、何の疑いもなくキュウリはキュウリだと認識していました。
しかしこの体験以降、モノの名前と本質とが分離したような感覚を持つようになりました。
・僕たちが「キュウリ」と認識している存在
・キュウリそのものの本質的な何か
手に持っているキュウリはたった一つなのに、何か2つのモノを同時に手にしているような不思議な感覚です。
これは今も変わらず感じています。
これらの3つの認識の変化が、僕の人格に色々な影響を与えているんじゃないかと、今も思っています。
まとめ
以上が、僕が中学2年生の時に感じた、それ以降も感じている
「なぜキュウリがキュウリというのか分からなくなった」
という話です。
ええと、、、
何言っているのか分からない!
という感覚を持たれた方には申し訳ありません。
でも逆に言えば、この感覚を持たずに現実を認識している当たり前の世界が、今も僕には見えていないんです。
これって不思議で、そして面白い話だと思っています。
深掘りすることで面白い分析ができるんじゃないかという感覚があるので、次の機会にこの現象をもっと踏み込んで考えてみたいと思います。