こんにちは。霧島もとみです。
これまでの記事では「こころのマニュアル」をなぜ私が書くのかという“WHY”を紹介してきました。
今回からは、いよいよ「こころのマニュアル」そのものを紹介する記事を書いていきます。
「何が“いよいよ”だよ。そんなもの誰も待ってないよ」
という声が聞こえてきそうです。その通りです。この「いよいよ」は100%私に向けた副詞です。なぜなら私は、一刻も早くこの「こころのマニュアル」を書きたかったんですよ。
でも、いきなりは書けませんでした。なぜ私が書くのか、なぜ私にそれが必要なのかを話しておくのが一番最初にやるべきことだと思ったからです。
そしたら思ったよりも“WHY”の部分に手間暇と時間がかかってしまい、肝心の「こころのマニュアル」を書き始められないという事態になってしまいました。
完全に計画ミスです。
しかも追い打ちをかけるように仕事が忙しくなったり、家庭に時間を取られてしまったりで、作業自体が全く進まなくなりました。
しかし、ようやく“WHY”の部分が終わりました。これでやっと「こころのマニュアル」本体が書ける。そう思った私の「いよいよ」です。どうぞご容赦ください。
というわけで、これから「こころのマニュアル」を書いていくことになりますが、全体としてはかなりのボリュームになりそうな予感です。
そこでまず、この記事では概論を紹介します。
「こころのマニュアル」が一体どんなものなのかというメンタルモデルを持っていただくため、4つのキーフレーズを使って全体像を紹介していきます。
この記事を読んでいただくことで、私の「こころのマニュアル」がどういう内容で、どういう事のために書かれるものなのか、という大枠をざっくりと理解していただけると思います。
4つのキーフレーズは、これです。
- 「こころ」という実体は存在しない
- 生き抜くための機能だった所属欲求、承認欲求
- 自分自身の「こころ」の再定義
- 「こころ」とハサミは使い方次第
それでは、「こころのマニュアル」の概論を始めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
1.「こころ」という実体は存在しない
最初のキーフレーズはこれです。
「こころ」という実体は存在しない。
皆さんに質問です。
皆さんは、心というものが実在すると思っていますか?
いやいや心なんて見えないし、形も匂いもないし、そんなもの実在するなんて考えたことないよ。馬鹿なの?と思われるかもしれません。
では、そんなあなたに質問を変えてみます。
あなたは心が無い人間ですよね?
どうでしょうか。こう真正面から聞かれると、ムカッとしませんか?
もし私が同じことを聞かれたら、間髪入れずにこう答えます。
「あるに決まってるでしょ」
なぜかというと、自分に「心が無い」という言葉に、「人間性が無い」とか「機械のような人間」というようなマイナスのイメージが湧き、反射的に嫌悪感を感じるからです。
自分はブリキ人形じゃないよと。そう反射的に考えてしまうからです。
ということは、私という人間は、「こころ」という言葉に何か実在するもののような感覚、イメージを持っているという事です。
どのようなイメージかというと、人間性であったり、暖かいものであったり、逆に冷たいものであったり、あるいは魂と表現されるようなものであったり…。
上手く言葉で表現することは難しいですが、「自分の一部を構成しているかなり重要な部分=こころ」というイメージを当たり前の感覚としてずっと持っていました。
おそらく似たような感覚を持っている方が多いのではと思います。
「こころ」という言葉は実に多くの意味で使われます。多くの言葉と連動して、色々なところで見たり聞いたりしますし、自分自身も発します。
そうしているうちに何が起きるかというと、言葉が人間の認知の中で強力に概念化し、「こころ」そのものが実在するというイメージを持つようになるんです。
私もこんな風に考えていました。
「こころ」というものは確かに目には見えないけれど、自分自身の中には確かに実体として存在する。存在しなければ、自分という人格も存在しないし、考えることも感じることも出来ないじゃないか!
ところが、実際には「こころ」という実体は存在しません。
人間の中にある「こころ」という言葉・概念を言うとき、本来の意味は、存在を表すものではなく「機能」を表すものです。
例えば心理学では、このように定義されています。
「ヒトおよびその他の動物、つまり生体の複雑な行動を支える内的過程を指す」
過程とは道筋、プロセスです。動物が複雑な行動を実現するために内的に備えているプロセス、つまり機能がこころだと考えているわけです。
「こころ」という実体は存在しません。
存在するのは、「こころ」と呼ばれるヒトが備える機能です。
この「こころ」という言葉に対する価値観を変えることが、「こころのマニュアル」で紹介したい最初の重要なポイントです。
「こころと体を育てよう!」
「こころの健康を大切にしよう!」
なんて言葉が世間には満ち溢れていますよね。この背景にあるのは、「こころ」という実体が存在するという価値観です。
まずはこのような「こころ」という言葉への価値観を更新すること。
「こころ」とは機能なんだと。
それを「こころのマニュアル」では紹介していきます。
2.生き抜くための機能だった所属欲求、承認欲求
次のキーフレーズがこれです。
生き抜くための機能だった所属欲求、承認欲求。
所属欲求、承認欲求という言葉はマズローの欲求5段階説のなかで提唱された欲求です。所属欲求は社会的欲求と言われたり、所属と愛の欲求と言われたりしますが、ここでは所属欲求と表現します。
とても有名な概念で、皆さんも何度も聞いたことがある言葉だと思います。
SNSと絡めて使われることも増えました。マーケティング用語的に聞いた方も多いのではないでしょうか。
この所属欲求や承認欲求というものは強烈な作用があり、うまく満たされると快感や幸福感を感じますが、満たされないときには強いストレスや喪失感を感じる原因になるとされています。
私も以前には孤独感による強いストレスを感じていましたが、これも所属欲求や承認欲求が満たされないことによるストレスだったと言えるでしょう。
いつも思っていたんです。
北斗の拳の南斗聖拳伝承者、サウザーのように、
こんなに苦しいのなら、悲しいのなら…
愛などいらぬ!!
別に一人でも困らないんですよね。お金も時間も自由に使えるし、その方が便利で都合もいいんです。
なのに苦しい。なぜ孤独を感じて苦しまなければならないのか。なぜこんな感情が自分の中から湧いてくるのか。
こころの中に大きな埋まらない空隙が空いたような感覚に痛みさえ覚えるのか。
なぜこんな面倒な「こころ」が自分の中にあるのだろうか。
そんなことを私はずっと考えていました。
この問いへの答えが、このキーフレーズ「生き抜くための機能だった所属欲求、承認欲求」です。
今この時を生き抜くための機能ではありません。
もっともっと昔、十万年以上もの年月の中で、ホモ・サピエンス種であるヒトが自然界という厳しい環境の中で生き抜いていく、その進化の過程で身に付けた機能が所属欲求、承認欲求だったという考えです。
なぜこのように考えたかというと、ヒトの最大の武器の一つが、集団行動だからです。
所属欲求と承認欲求を持つ集団と、一切持たない集団とだったら、どちらがより強力な集団行動が出来るでしょうか?
考えるまでもありませんよね。
個体としてではなく、集団として強く生き残っていくために有益な欲求だったわけです。そして集団が生き残れば、そこに属する個体も生き残りやすい。だからそういう個体が生き残った…という仮説が考えられます。
なぜこれをキーフレーズにしたかというと、所属欲求と承認欲求から解放されることが「こころのマニュアル」で紹介したい重要なポイントだからです。
そのためには、私を苦しめてきた所属欲求と承認欲求を認識し、機能として備わっているものだからしょうがないと考え、認めたうえで上手く付き合っていくということが必要になります。
これを「こころのマニュアル」では紹介していきます。
3.自分自身の「こころ」の再定義
「こころ」とは実体が存在せず、ヒトという動物が備えた機能だと紹介しました。
また、所属欲求と承認欲求は進化の中で生き抜くために備えてきた機能だったと紹介しました。
これらの詳細な説明には学術的な裏付けが必要になりますが、最初にお話ししたように私は心理学の専門家でも実務家でもありません。
ちょっと心理学をかじっただけの、こころを病んだことがある一人の人間です。
それにこの「こころのマニュアル」は、あくまで私自身に向けて作るものです。
だから学術的な議論を追求するのではなく、学んだ知識やこれまでの経験をもとにして、自分自身がより幸福に生きるための方法論を組み立てることを目的にしています。
そこで3つ目のキーフレーズである、
自分自身の「こころ」の再定義
を行います。
「こころ」という概念をどのように捉えるのか。
また、幸福とは何なのか。
こういった問題を考えていくために、「こころのマニュアル」では、自分自身の「こころ」の再定義を行っていきます。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
というゴーギャンの有名な絵画があります。
この問いへの答えも書いていくことになるでしょう。
ちょっと風呂敷を広げすぎたかもしれません。ごめんなさい。
4.「こころ」とハサミは使い方次第
最後のキーフレーズがこれです。
「こころ」とハサミは使い方次第
「こころのマニュアル」の中で紹介したいことを色々と書きましたが、最終的な目的がこのフレーズです。
「こころ」とはあくまで機能。ヒトに機能として備わっているもの。
だったら「こころ」についてあれこれ悩むのはもう止めよう。
悩むのではなく、考えるべきはそれをどう使うかということ。
言い換えると、
自分自身がよりよく生きていくために「こころ」を上手く使っていくための方法論を考えましょう
ということです。
それで例えとして出したのがハサミです。
ハサミには「切る」という機能が備わっています。ただそれだけです。それだけなんですが、使い方ひとつで様々な結果を引き出すことが可能です。
ハサミを使ってどんな仕事ができるか。
機能としてはたった1つの極めてシンプルなものですが、そこから導き出される結果の多様さは十や百ではありません。千でもない。万、億、兆…いや、那由他の彼方と言っても過言ではないほどの可能性を秘めています。
機能の理解と作用を認識することで、様々な可能性を引き出せることが分かると思います。
「こころ」も同じです。
機能を理解し、作用を認識することで、様々な可能性を引き出すことができる。少なくとも、より良く生きるための力になる。
私のための「こころのマニュアル」では、これを実現するための方法や知恵を紹介していきます。
こころを知り、活用する。この価値観へと完全に移行できたとき、自分自身を解放できるのではと考えています。
そのための説明書になることを目指し、「こころのマニュアル」を書いていきたいと思います。
この記事の振り返り
この記事では、「こころのマニュアル」の概論について、4つのキーフレーズを使ってざっくり説明させていただきました。
1つ目は、「こころ」という実体は存在しないというフレーズ。
「こころ」という言葉に私たちは実体として存在しているような感覚を持ちがちですが、そのような実体は存在しません。
「こころ」とは機能です。
まず、この価値観の変換を行います。
2つ目は、生き抜くための機能だった所属欲求、承認欲求というフレーズ。
所属欲求、承認欲求はヒトという動物が十万年以上の年月をかけて自然界で生き抜くために備えた機能です。
なので、それが存在する理由を悩んでも仕方ありません。
存在を認め、上手く付き合う方法を考えていきます。
3つ目は、自分自身の「こころ」の再定義というフレーズです。
「こころ」という概念をどのように捉えるのか。
また、幸福とは何なのか。
こういうった問題を考えていくために、私なりの仮説をもとにした再定義を行っていきます。
4つ目は、「こころ」とハサミは使い方次第というフレーズです。
こころを知り、活用する。この価値観へと完全に移行できたとき、自分自身を解放できると考えています。
これを最終的な目的として、そのための説明書になることを目指し、「こころのマニュアル」を書いていきます。
以上が、私が私のために書く「こころのマニュアル」のざっくりとした概要の紹介です。
さあ、本当に前置きが長くなりました。
ここまででおそらく2万字を優に超えています。
次回からはいよいよ「こころのマニュアル」の本編に入っていきます。よかったら読んでみてください。
自分のための記事とはいえ、何か少しでも、ほんのわずかでもあなたの役に立てば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。