霧島もとみです。
この記事では、コンプレックスや悩みを抱えながら、それでも生きていけると考えた理由のうち、残りの1つ「現在と未来に希望を見出したこと」を紹介します。
見出した希望は、
「書きたいという熱」です。
この熱がある限り生きていくことができると感じています。
そこへたどり着いた4つのきっかけを紹介します。
きっかけ1:一冊の本との出会い。
本物の熱に触れ、世界が大きく広がった。
手当たり次第に本を読んでいく中で、運命的と思える一冊の本に出会いました。
「たった一人の熱狂」。
見城徹さんの著書、幻冬舎文庫です。
書店で「なんだこのオッサンは・・・」と訝しんだのが最初の印象でした。
ところが読んでみると、
「熱狂」
「圧倒的努力」
「GNO」
次々と絞り出される力強い言葉、行間からほとばしる迫力に、ただただ圧倒されました。
物凄い熱量が込められていて、読後の熱がなかなか引かない体験に戸惑いを覚えました。
しかし「運命的」とまで言ったのは、単純に本の内容が凄かった!という事ではありません。
決定的だったのは、この本に出会ったことをきっかけにして、次々と新しい世界が開けていったことです。
<開けた新しい世界>
・AbemaTV「徹の部屋」
・西野亮廣さん「革命のファンファーレ」
・前田裕二さん「人生の勝算」
・松村厚久さん「熱狂宣言」(※著者は小松成美さん)
・箕輪厚介さん編集本 などなど
世の中にこんなに刺激的で面白いものがあったのかという驚き。
書籍やテレビを通じているのに、まるで息遣いがすぐそばで聞こえるくらいに生々しく、凄まじい臨場感をもって、人の物語を伝えることが出来るのかという衝撃。
そんな脅威のコンテンツに次々と出会う事ができました。
こうして、この本をきっかけに、自分の中で「熱」が動き始めました。
きっかけ2:西野亮廣さんのオンラインサロン入会(キングコング西野さん)
凄まじいスピードで動く「西野亮廣エンタメ研究所」を目の当たりして、お尻をドカンと蹴っ飛ばされた。
そうしている内に「何やらオンラインサロンで面白いことが起きているらしい」という事実を、西野亮廣さん、箕輪厚介さんのSNSなどから知りました。
ネット上のサロンって何なんだろう?と興味が湧きましたが、自分とは違う世界のように思えて腰が引けていました。
でもそれじゃあ何も変わらない。
「せっかくだから俺はこのサロンに入るぜ!」と奮い立たせ、西野亮廣さんのオンラインサロンへ入会申請しました。
承認されるのかなあ・・・とドキドキしたのも束の間、数日で承認され、早速飛び込んでみると驚愕の世界でした。
・あっと驚きすぎる西野さんのネタ投下。
・恐ろしい勢いで書き込まれるサロンメンバーのコメント。
・想像を超える展開が日々リアルタイムで進行する。
西野亮廣さんが凄い。
メンバーさんたちが凄い。
自分が全く能動的に関与出来ていないことに戸惑い、焦りを覚え、「自分もやりたいことをさっさとやろう」という動機づけが自然に起きてきました。
蹴飛ばされた(と勝手に思っている)お尻が常に痛いです。
きっかけ3:自分自身のコンパスを持ちたい。
見出したコンパスは「書きたいという熱」
コンパスという言葉、大人になってから久し振りに聞きました。
日常生活では聞くことがほとんどないこの言葉を、続けざまに耳にする経験をしました。
自分自身のコンパスとは?
・前田裕二さん「人生の勝算」
・西野亮廣さん「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」
前田裕二さんの「人生の勝算」では、自分の生き方のコンパスを持つことの重要性が説かれていました。
また、西野亮廣さんの「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」では、西野さん自身の「自分のコンパス」に沿った人生の歩き方が書かれていました。
共通したエッセンスは、
自分自身の夢や目的である「コンパス」を明確に持つこと。
信じ抜くこと。動くこと。
シンプルですが難しいことです。
前田さんは、自分のコンパスを持つために自己分析ノートを30冊も作ったと書いています。
私はすっかり「コンパス」という言葉のとりこになりました。
そして同時に、これまで「自分のやりたいことはこれかなあ」と漠然とイメージしていたものはコンパスではない、ただの思い付きや妄想でしかなかったことに気付かされました。
自分は夢や目的を何も考えていなかったんだと思い知らされたんです。
ショックでした。
でもこれは納得できる話だとも思いました。
なぜなら、「やりたいこと」という言葉なんて幻想だと考えていたからです。
「やりたいこと」なんて幻想だと考えていた
そんなことを言えるのはごく一部の限られた才能ある人たちで自分には関係ない。
目の前の「できること」や「やらなければならないこと」をすればいいのだと、そう思っていました。
事実これまでは、それをベースに生きてきましたから。
でもこの生き方に限界も感じていました。
自分を追い込んで馬力を出さなければならない状況になった時、「やらなければならない」ベースでいると、
・なぜ自分がこれをやらなければならないんだ。
・他にも出来る人はいるのに、どうして他の人はやらないんだ。
・理不尽じゃないか。
という自問自答に消耗し、精神が摩耗し、踏ん張りが効かなくなることを経験したからです。
「やらなければならないこと」という生き方には限界がある。
そのことを思い出し、自分の情けなさに一通り涙を流した後、はっと気付きました。
「今まで夢や目的を考えていなかったんなら、これからしっかり持てばいいんじゃないか?」
「自分のコンパスを持ったら、どんな生き方が出来るんだろう?」
考えただけでワクワクしてきました。
「自分のコンパス」を持ちたい!
「コンパスを持ちたい」という欲が湧いた私は、それから自己分析をひたすら行いました。
前田さんには遠く及ばないまでも、ひたすらノートに書き出しては整理を繰り返し、自分と向き合っていきました。
そしてたどり着いたのは「書きたい」というシンプルな熱でした。
自分が触れるもの、抱えている得体のしれないもの、とにかく「書きたい」という熱。
出来る限り良い形で言語化したいという熱。
あとは、その方角へ歩いていくことができるかどうか。
それを自分自身で試すだけ。そう思ったとき、急に希望というものが湧いてきたような感覚を覚えました。
「この人生、苦しいだけじゃない。確かな希望もあるんだ」
きっかけ4:同じように悩み苦しむ人の参考になるかもしれない
その気付きが「書くことへの躊躇い」を消し去った
私は何か特定分野の専門家ではありません。
また、他人を大きく引き離すレベルで特定の趣味に没頭したということもありません。
だから「書こう」と考えた時には、これまで悩み苦しんできた自分自身の経験のことが最初に思い浮かびました。
けれども同時に、
・自分が悩み苦しんだことや、その中で気付いたことって、とことんパーソナルな話だよね。
・ブログやSNSで発信したって何の意味もないよね。
とも思っていました。
書いてもしょうがない、と自分自身で考えてしまっていたんですね。
しかしある時に気付きました。
自分が悩んだ時や壁にぶつかった時にどうしていただろうか?と考えた時、
「とりあえずインターネットで検索する」ってやっているじゃん!という事に。
・自分が悩んでいるキーワードで検索する。
・表示されたリンク先に「何かヒントはないだろうか」という思いを込めて飛ぶ。
・直接解決することもある。(ベスト!)
・解決しなくても「この人はこんな風に考えているんだなあ」と少し気が晴れる。
そうです。「とことんパーソナルな話だからこそ、同じように悩む人の参考になる」可能性がインターネットにはあるんです。
そうすると、自分自身が経験した辛い経験や悩みが、これから同じような経験をするかもしれない誰かの参考になるかもしれない可能性があるってことになる訳です。
誰かの助けになるかもしれないという事です。
意味はある。
書ける。
これに気付いた時、書くことへの躊躇いは消え去りました。
同時に、現在と未来の希望が開けた感覚がありました。
そうして書きたいという熱が生まれてきた
これらの4つのきっかけを経て、自分の中から「書きたいという熱」が生まれてくる状態にたどり着きました。
<まとめ:4つのきっかけは>
・一冊の本との出会い。
・西野亮廣さんのオンラインサロン入会(キングコング西野さん)。
・自分自身のコンパスを持ちたい。
・同じように悩み苦しむ人の参考になるかもしれない。
それが実際に行動へと移ることになったのは、
「やるのは今しかない」
という事実への気付きがあったからです。
「やるのは今しかない」については、次の記事でお話しします。