Dear T

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霧島もとみです。

今日、遠方にいる大事な友人から久しぶりの電話がありました。

家族と出掛けている途中だったため十分に時間が取れず、話の途中で電話を切ってしまったのですが、その後で話したかった事が次々と浮かんできました。

彼との電話はいつも、僕に刺激を与えます。

そしてその刺激で浮かんできた事柄は、今の僕自身の姿そのものでしょう。

年末を前に、自分自身の思考を整理する意味もあるなと思い、僕が彼にどんなことを伝えたかったのかを整理して記事にしました。

とことん個人的な話ですので、読んでいただかなくて大丈夫です。

自分自身の記録用として、彼への手紙という形でここに記します。

Dear T

久しぶりの電話をありがとう。嬉しかった。

家族と出掛けていた最中で、途中で話を切らないといけなかったことが残念だった。

君との電話は、いつも僕の大きな刺激になる。

今日は、電話で話しきれなかったことをこの機会に書いておこうと思った。時間が5分ほどあれば、ぜひ読んで欲しい。

この手紙で伝えたいことは3つだ。

  1. 僕の仕事への考えについて
  2. やりたいと考えていること
  3. 死ぬ瞬間の後悔を減らしたいという望み

僕の仕事への考えについて

今日の電話の中で、僕は「出世には興味がない」と言った。誤解を招く表現かもしれないし、今の僕の考え方を具体的に表している事柄の1つであるため、もう少し正確に伝えておきたい。

「出世」の定義

僕がイメージしている出世とは、「組織内での昇進」だ。

一般的にもこの意味で使われているだろうから問題ないだろうけど、最初の定義を共有できていないと上手く伝わらないと思うので、覚えていて欲しい。

出世するとはどういうことか

さて、僕の仕事は、組織の歯車であることだ。

これは卑下しているのではなくて、客観的な事実だと思っている。

組織の目的が最初にあって、その中で僕の役割がある。
それが今の僕の仕事だ。

つまり、僕が仕事を通じて実現すること、表現することは、基本的に組織の目的や役割の範囲から飛び出すことが無い。飛び出すことは禁じられている。僕の場合、それが組織人として守らなければならない最初のルールだ。

誤解しないで欲しいが、不満があるわけじゃない。

むしろ僕自身、そうすることが大事だと考えているくらいだ。

ところで、出世とはどういうことだろう?

出世とは「組織内での昇進」だと定義した。

昇進すると組織内での権限が強くなる。段階によっては部分的に決定権を持つこともある。サラリーも幾分増加するだろう。

そして仕事の質が変わる

自分自身が歯車として回ることから、自分以外の歯車を回す、あるいは回ってもらうことへとシフトしていく。つまり、組織内のチームをマネジメントする役割に変わる。

これが僕の場合の「出世」という事になる。

出世に魅力を感じない理由

出世を完全に望んでいない訳じゃない。上を目指したいというシンプルな気持ちは僕も持っている。

しかし出世で得られるものに、あまり興味を持てないのが正直なところだ。現実を知らないバカの空想に過ぎないかもしれないけど、とにかく興味が持てない。

まず、出世したとしても、組織内で果たす役割が変わるだけで、組織の役割自体が変わるわけじゃない。小さな歯車から、大きな歯車へ変わるのに過ぎない。自分自身の役割が大きくなることには、憧れを持っていない。

次に、サラリーが増えることには大きな魅力を感じない。
今の生活水準で僕はとりあえず満足してしまっている。サラリーを増やすこと自体に飢えや乾きは感じていない。

最後に、人をマネジメントする役割には気後れを感じる。

出世して他人をマネジメントしていく自分を想像すると、ワクワクよりも気の重さが先行する。むしろ「この人は能力がある」と思う人達が、権限を持って活躍する姿を想像するほうが、何故か僕はワクワクしてしまう。

一方で、出世は厳しい道だ。

数多の人員の中から、競争に勝ち、認められていかなければいけない。仕事の成果はもとより、人付き合いや、役職者に信用を得ることも必要だろう。それを支えるだけの行動力や環境、経済力も必要だ。

何より自分こそが相応しい、どんな事をしても達成するという強い意志がなければ、出世を望む人達で茂りきった草むらをかき分けて進むことは出来ないだろう。

成し遂げるには強力なモチベーションが欠かせず、そしてこの点が、僕には決定的に欠けている。それは最初に挙げた3つの理由による。

だから出世することに魅力を感じない。

仕事上のやる気の有無ではなくて、これは僕の軸の問題だと思う。

やりたいと考えている事

次は、出世を目指さないとした僕がどこへ向かおうとしているのかを話しておきたい。

仕事と家庭の両立

まずはこれだ。

出世は目指さないけど、それは仕事をなおざりにするということじゃない。むしろ自分にできる限りの努力と集中力を持って、役割を果たしていくつもりだ。

もちろん家庭にも能力を向けていく。今もやっていることだけど、それを続けていく。

今の仕事は、一生を掛けてできる仕事じゃない。組織に属しているからこそ出来る仕事だ。

もちろん定年まで勤めていくつもりだけど、組織を離れた瞬間から、スキルと経験の転用はできるとはいえ、基本的には何も持たない一人の人間になる。

組織を離れた瞬間にゼロだ。

でも家庭は一生モノだ。勿論、家庭を失うこともゼロじゃあないけど、自分の行いが大きなファクターになることは違いない。

幸運にも手に入れた関係性を失くさないよう大事にして、自分の基礎というか、土台を作っていきたい。

書きたい、表現したい

次に、書くことと表現することについて。

去年、一昨年と、年間の残業時間が1000時間に迫る忙しさの中(君に比べると全然甘く、子供だましだと思う)で、気づいたことがある。

それは資料を作っている時、僕が歓びのようなものを感じていたことだ。

複雑な情報を整理して、見やすい1枚のペーパーに落としこむ。聞き手のフレームワークを推理し、理解して貰いやすい言葉を選んで組み立てていく。

美しさと論理とが両立した資料を完成させて、伝えきったときに僕は嬉しさを感じていた。

そして資料作りに向き合っている時、僕は独り言をブツブツと呟きながらその作業に完全に没頭していた。

この時僕は、確かに歓びを感じていた。
それはこの手紙を書いている今も同じだ。

僕はどうやら何かを書きたいらしい。

この情念にできる限り身を焦がしていきたい。表現したい。自分自身の事項に限れば、最も優先順位を高くして取り組んでいきたい。

コンプレックスを昇華したい

君が知っている通り、僕はコンプレックスの塊だ

内部に溜め込んだ歪みの転移はおびただしい量に達し、一部では弾性限界を超えて塑性変形を起こしてしまっている。

熱を加えればクリープ現象も起きるだろう。

今まではこの歪みから目を逸らしてきた。でも、真正面から向き合わなければ、いつまでも自分が救われないことを知った。

コンプレックスと向き合って、それを表現していく。昇華していく。

文学なんて言うつもりはなくて、ただの駄文で構わない。自分自身が納得できるまで続けていこうと思っている。

 

そして究極の望みは、死ぬ瞬間の後悔を少しでも減らすことだ。

死ぬ瞬間の後悔を減らしたい

今から3年前、組織内で慕っていた先輩が自殺した。

僕はその時以来、組織に対して希望を持てなくなった。それと、急に死を身近に感じるようになった。

僕もいつか死ぬ。もしそれが今日だとしたら?具体的なイメージを持った時、無数の後悔がぐわっと浮かび上がって来て呼吸が出来なくなった。

僕はこれまで生きてきた時間に、数え切れない後悔を抱えていたことを改めて気付かされた。

どんな後悔か。

やったことの後悔よりも、やらなかった後悔が圧倒的に多かった。

そして、やらなかった自分を棚に上げて、人を羨むばかりだった。
コンプレックスの原因も多くはここにあった。

過去は取り戻せないけど、まだ人生は半分以上残っている。だとしたら、これからの人生には同じような後悔を残したくない。

この思いを強く抱いた。

だから極端な話、やりたいことは全部やりたい。
やれなくても、やろうと行動したい。

やろうとした瞬間を積み重ねていきたい。

そうしたら、死ぬ瞬間の後悔を少しでも減らせるだろうと思う。

「もし…」を思うことなく死ねたら最高だ。

僕は今、こう考えて生きている。

 

 

君からの電話が繋がった時、僕はこんなことを考えていた。

いつもにも増して青臭い話になってしまった。でもこれが今の自分自身の思考であり、進むべき方向を示すコンパスだと思っている。

マンガチックな話だけれど、「メモの魔力」という本がある。

この本の巻末付録の自己分析1000問にこれから取り組み、より自分自身を言語化していくつもりだ。

最後まで読んでくれてありがとう。

40を過ぎてこんなバカな事を考えている奴が一人、君の友人にいてもいいだろうか。

来年が君の更なる飛躍の年になることを。

最も尊敬する友人Tへ。

 

ひょっとして気付いているかもしれないが・・・

この手紙は僕なりのギャグだ。

(でも書いていることは本当だよ)

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