「ブログで情報発信」という言葉への僕の違和感の話

こんにちは、霧島もとみです。

ブログで発信!
有益な情報を発信!

よく聞く言葉です。

かくいう僕も「発信」という言葉を当たり前のように使っていました。でも、使うたびに、軽い頭痛や微熱があるのかも?無いのかも?というような微妙~~な違和感を覚えていました。

例えば役立つノウハウとか、マル秘情報とか、最新情報とかなら「発信」って言葉はズドンと嵌まる気がします。でも僕のブログの大部分は「感想」や「体験談」です。

これを果たして「発信」って言うんだろうか…?

そんな疑問を感じていたのが違和感の正体だったんですが、ついにその答えである「これが自分の発信だ」という考えに辿り着きました。

それが何かというと、

発信は「発振」でもあるということ。

・・・

ちょっと意味が分からない。

きっとそうだと思います。でも僕には強く強烈に刺さった考え方なので、これはぜひ紹介したいと思い、ブログ記事にしました。

ということで、今日は日頃抱いていた発信という言葉への違和感と、発振という言葉に込めるブログへの想いを書きます。

発信という言葉への違和感

ブログを書くことを「情報発信」だと考えている人って多いと思います。

もちろん僕もその一人です。

「ブログで得た経験値って何?を考えてたどり着いた「発信を知りたければブログを書け!」という最近の記事の中で、こう書いていました。

”知識や情報、意見や感想などを表現して伝えるという行為。”

これを発信だとして、

”発信を知りたければブログを書け!”

って。

ブログで得た経験値って何?を考えてたどり着いた「発信を知りたければブログを書け!」という話

うーん…我ながら偉い(笑)。

自分で書いたとは思えないような偉ぶった文章で恐縮です。

でもこの時も、やっぱり違和感があったんですよね。冒頭に書いた「軽い頭痛や微熱があるのかも?無いのかも?というような微妙~~な違和感」です。

この時はその理由が分かりませんでした。

でも次第に、違和感は「発信」という言葉にあるんじゃないか?と感じ始めました。

最終的にはっきりとした形で認識したのは、ある日、海釣りをしていた時のことでした。

そこは瀬戸内海のとある漁港。夕暮れから暗闇へ変わろうとしていく薄暗い空の下、堤防で光っている赤色と青色の灯台をぼおっと眺めていた時にふと思ったんです。

「そういや灯台の光は、海側から見て右が赤、左が緑だったよなあ…」

「ここが港の入り口だっていう情報を発信している。光の色にはちゃんと意味が込められているんだよなあ…」

ここで気付きました。

「あっ…!!これこそが発信なんだ!」

そう。

価値がある情報(港の場所が分かる)を必要とする人に届けようとする行為が、発信なんだということに改めて気付いたんです。

次に自分のブログを振り返ったら…

言うまでもなく、価値がある情報ばかりとは言えないものでした。感想や体験談がほとんど。これじゃあ、とても発信なんて言える代物じゃないじゃん。

だとすると、僕はブログという場所で何も「発信」出来ていなかったことになる…。

頭から血の気が引くのを感じました。

この事を自分自身でも薄々感じていたんでしょうね。それが、発信という言葉に持っていた違和感の正体だったんです。

こうして僕は一気に発信という言葉への自信を失いました。

そもそも発信って何?

自信を失った時は基本に立ち返るというのが僕の方法論です。

「発信」への自信を失った僕は、言葉を考える時の基本=辞書で調べるを敢行しました。

そしたら発信のことをこう書いてありました。

1.電信・電波などを発すること。「電波をーする」
2.郵便を差し出すこと。
(大辞林より)

電信・電波、郵便。

そういった情報を伝える媒介を「自分が出す」というシンプルな行為、それが発信という言葉の元々の意味でした。

ただ信号を出すだけ。それが「発信」なんです。

発信という言葉には、本来の意味からも、行為そのものには大きな意味が無いことが分かりました。

じゃあ何に価値があるんでしょうか?

そう。発信される「情報」に価値があるんです。

発信の価値は情報にある

情報にこそ価値がある。

当たり前のようですが、僕が気付いた海釣りの事を例に少し説明します。

港の話で言うと、堤防にある灯台の光は信号です。信号を出す…つまり灯台を光らせる行為が発信です

この発信になぜ価値があるかというと、赤と緑の灯光によって「ここが港の入り口ですよ」という情報が伝えられるからです。

それを受け取った船は、夜の真っ暗な海でも、その光=発信された情報を頼りに港へ入ることが出来ます。

これは価値があります。

一方、もし僕が堤防で黄色とか白色とかの強い光を出していたらどうでしょうか?

光を出すという行為は同じです。同じ「発信」です。なのに、その光は航海する船にとっては何の意味もなく、当然価値もありません。

なぜならその光には航海に必要な情報が全く込められていないからです。

価値があるどころか、逆に邪魔かもしれません。船にとって必要な赤と緑の灯火を探すときの妨げになるからです。

 

さあそこで、僕のブログです。

かなりの記事を「感想」や「体験談」が占めています。これらは大部分が情報ではないものです。

3000文字チャレンジでよく書いているネタ記事や創作記事なんかになると、ほぼ情報はありません。創作ですからね。

なんてこった!やっぱり「価値のある情報」なんてほとんど書いていません。

だったら自分のブログには意味がないのだろうか…。

再び、僕は激しく落ち込みました。

おかげで記事更新もピタリと止まりました。

でも一方で、ブログはそれだけなのだろうか?何か違う別のものもあるはず…という思いも捨てられませんでした。

全てを価値がないと否定してみたりもしましたが、「何か違う」と違和感(抵抗感?)がありました。

そして、気付きました。

僕がやりたかったのは、発信ではなくて、言うなれば「発振」だったんです。

発信と発振、そして僕がやりたいこと

発信とは信号を出すことでした。

これに対して、発振とは振動を起こすことです。

さっそく意味を辞書で調べてみました。

一定の持続的振動を発生すること。普通、電気信号の場合をいう。
(大辞林より)

電気信号とは電気の波。波とは振動。振動とはエネルギーの1つの形態です。

つまり発振とはエネルギーを起こし、伝えること。

この時、確信を持ちました。

自分がブログを通してやりたいことは発信ではなく「発振」だったんです。

ブログでの発振が何かというと、僕が生きていく中で「面白い」「感動する」と思ったことや、「これは価値がある」と考え、心が大きく揺さぶられたことを形にすることです。

このエネルギーを発振することによって、自分以外の誰かにそのうちのわずかでも伝播させて影響を与えたい。

もしも誰かの琴線を揺らすことがあったら最高です。

 

もちろん情報発信は価値のあることです。

僕も自分が持っている情報で有用なものはどんどん発信していきたいです。

でもそれよりも僕がやりたいことは、僕の振動を発振すること。

この思いを自分が持っていたことに、今日、ようやく気付きました。

 

発信よりも発振。

今日からはこの言葉を念頭に置いて、再びブログを書いていきます!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

僕の振動がほんの少しでも感じていただければ、これ以上の喜びはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です