こんにちは。霧島もとみです。
3000チャレンジ「辛いもの」というお題を迎えて、今回はネタを封印して真面目に書いてみることにしました。
3000文字チャレンジ!第71弾!【辛いもの】
どうも!
3000文字チャレンジ。
どどんッ!第71弾!今回のテーマは『辛いもの』です!
以下のルール見てね↓↓↓↓↓
— 3000文字チャレンジ公式アカウント (@challenge_3000) April 9, 2020
「つらいもの」
「からいもの」
どちらで読むことも出来るお題に対して、僕は「つらいもの」で書くことにしました。
なぜなら、辛いからです。
辛いと感じるものがあるからです。
それは日常生活の中では普段鳴りを潜めています。しかし、ふとしたきっかけで感情の奥底から姿を現すと、とたんに僕のコントロールを一瞬にして奪ってしまう強力な存在です。
そうなった時には、嗚咽と涙が止まらなくなり、肺から全ての空気が奪われるような苦しさを覚え、ただ驟雨のような激情が過ぎるのをじっと待つだけしかできなくなります。
辛い。ツライ。つらい。
今日はこの「つらいもの」について、隠すことなくさらけ出すつもりで書きます。
僕の「つらいもの」は精神的な挫折感
つらいものなんて何一つ無い!という人は、そんなに多くはないんじゃないかと思います。いたらスミマセン。全力で痺れて憧れますので許してください。
まあ色々ありますよね。細かいことを言い出したらキリがなく、寒いのが辛いとか、腰痛が辛いとか、花粉症の季節が辛いとか…。
「つらいもの」をざっくり分けると、身体的なものと、精神的なものとに分類されます。
その中で僕にとって目下一番「つらい」と感じるのは、とある精神的な事項です。
その問題が思い起こされた時、僕はたちまち冒頭に書いたような精神不安定な状態になってしまいます。
それ以外の事項とは大きく違う、群を抜いた強力な不安定な状態です。
僕にとって恐怖すら与える存在である「つらいもの」。
それが何かというと、
自分自身が、
「俺はもうこれで終わりだ」
と感じることです。
もう少し具体的に書くと、次のような思考が同時多発的に発生している状態です。
・これ以上の成長が望めない
・これ以上の成果を出すことが出来ない
・これが自分の限界だ
・発展がなく、これまでの繰り返しか、衰退しかない
・どれだけやっても無駄だった
・何もかもが遅い
「挫折感」という言葉が最も近いかもしれません。(ということで、この感情を表す言葉としてこの記事では「挫折感」を使います)
この他にも色々「つらいもの」はありますが、自己分析を繰り返し行った結果、一番強烈に辛かったのは挫折感だという結論になりました。
結論にはまあ、なったんですが。
なんでこんな事が「一番強烈に」辛いものになるんでしょうね?自分でも正直分かりませんでした。
僕は上昇志向の塊ではないし、勝ち負けにこだわる勝負師でもありません。どちらかというと人生において適当な人間かな~というように思っています。
なのになぜ、挫折感が「最もつらいもの」なのか。
せっかくなのでこの点を考えてみることにしました。
挫折感をなぜ辛いと感じるのか?
挫折感。
目標を達成できないこととか、望むような成長を得られない時とか、これらは当然に辛いことではあります。
悔しいし、自分の無力感を感じるし、どう考えても辛いですよね。
スポーツ漫画の熱い登場人物だったら
「どうして俺はヤツに勝てないんだ!!俺の才能はここまでなのか!!」
と涙を流して悔しがることでしょう。
でも、それが「つらいもの」なのかというと、そうではない気がするんですよね。少なくとも、僕が体感している精神的な辛さとは違う気がします。
僕の精神的な辛さは、もっと強くて痛いもの。
大袈裟に言えば人生の全てを投げ出したくなりそうな辛さです。
しかし、たかが挫折感。
「辛い、つらい。最大に辛い。人生で一番辛いし、もう生きていくのすら嫌だ」というほど騒ぐような問題なんでしょうか?
自分自身でもこのことを変だなと思っていました。
だから疑問を解決するため、「自分はメンタルが弱いから強烈に辛く感じるんだ」というような仮説を信じていました。
精神的な弱さがあるから、挫折感くらいで大きく落ち込むんだと考えていたんですね。そしてメンタル強くなれとおまじないを懸けていました。
こんな風に。
『メンタルが強けりゃこんな事気にならないだろ?もっとメンタルを鍛えろ。強い人間になれ。そうすれば気にならなくなる。今のお前は弱い。ひたすらに弱い!ミジンコだ!ミドリムシだ!それでいいのか?違うだろ?強くなれ!
よし!今日からお前は富士山だ!』
もちろんメンタルは一向に強くなりませんでしたけど…。
しかし改めて考えてみると、挫折感に対する僕の「辛い」という感情の振れ幅はやっぱり大きすぎる気がしました。
なぜ挫折感をこんなに辛いと感じるのだろうか?
そう思考してたとき、ふと「挫折感という感情に何か別の要素が隠れているのではないか」という仮説が浮かびました。
<挫折感が辛すぎる原因の仮説>
1.挫折感を感じるとき、別の感情が同時に動く
2.その感情が「辛さ」の本当の原因
更にこの別の感情が何か?と考えていき、僕はこの仮説を加えました。
3.動いている感情は「集合欲求」である
挫折=集合欲求が満たされないことが辛いという仮説
集合欲求は僕の造語です。どのような欲求かというと、「人間の大きな集合・集団・幻想に自らを所属させ集合させたいという欲求」だと考えています。
人間は進化の過程で虚構を実在のものとして感じる能力を獲得したそうです。
そしてその虚構を信じる力で、動物の限界を超えた集団行動が可能になり、この地上を制覇していったそうです。
だとすると集団行動を本能的に取れる個体の方が生き残りに有利だったのではないか?
本能的に行動をするためには、集団行動への欲求を持つ必要があったのではないか?
現代でも祭りや音楽ライブ、デモ行進など、集団行動で快感を得ていると考えられる行動が見られる→集合欲が存在するのではないか?
という僕の仮説としての欲求が集合欲です。
まあ、とりあえずこういうものがあると仮定します。
僕が挫折感を感じる時、単純な挫折に対しての感情だけではなく、この集合欲の欠乏が同時に大きく起きていると考えると「一番強烈」クラスの辛さを感じることが納得できる気がするんです。
なぜ挫折感と集合欲の欠乏が連動するかというと、
挫折感を感じることによって、
「自分が目指している人々」「もっと上の人々」という集合への合流が出来ないという思考が同時に生じるからです。
僕は強い上昇志向は持ち合わせていませんが、自分よりも能力がある人や、世の中で活躍している人に対して基本的にリスペクトしています。
そして「いつかこういう人たちのような存在になりたい」という欲を持っています。これは自己実現の欲求とも言えますが、見方を変えると「こういう人たちに仲間入りしたい=その集合に自分を所属させたい」という集合欲求の側面が見えてきます。
ところが挫折することによって、その集合に自分が所属する可能性がなくなります。
すると集合欲求の欠乏を感じます。
集合から外れることは、大きなストレスを与えます。古代においては生存に直接影響していたでしょうし、現代においても体感的に「仲間外れ」や「周囲から存在を無視される」ことに大きなストレスを感じることは理解できると思います。
だから挫折感に連動して大きなストレスを感じるのではないか?
つまりこういう事です。
1.挫折感が浮かんだ時に強烈な辛さを感じるのはメンタルが弱いからではない。
2.挫折感に伴い、集合欲求の欠乏が起こるからだ。
3.集合欲求の欠乏は大きなストレスを生む。だから強烈な辛さを感じる。
4.挫折感そのものが辛さの原因ではなかった。
そう考えると、僕を苦しめていた「辛いもの」の正体が見えた気がして、気分が軽くなりました。
挫折感と同時に集合欲求を感じていると考えたからって、それが一体どういう事なの?
何の意味があるの?
とも思いましたが、辛いものの原因・正体が見えているのとそうでないのとでは大きく違います。
苦しんでいる理由が分かると、それに対する対処法が分かり、コントロールできるという認識が持ちやすいからです。
例えば食欲です。お腹が減るのって相当な身体的ストレスですけど、「食べれば解消される」ことを知っていますから、精神的にはあまりストレスではないですよね?
もしこの現象の原因を知らなければ「この苦しみは一体何なんだろう。なぜこんなに苦しいのだろう。自分は何かおかしいのか…」と悩んでしまうかもしれません。
それと同じだと思うんですね。
辛さの理由を集合欲求だと認識することで、それを解消するための対処法を考えることができます。そしてそう認識できること自体が、ストレス軽減につながるんですよね。
とりとめのない話になってしまった…。
3000文字チャレンジ「辛いもの」で、自分の一番辛いものを吐き出し、自分をさらけ出してみようと思って書き始めたところ何とも取り留めのない話になってしまいました。
大反省です。
自分の辛いものは挫折だという話で始めてみたのに、その現象の考察を始めたと思ったら、気が付いたら「その原因は集合欲だ」という仮説を語って終わるという事になってしまいました。
構成の下手さに開いた口がふさがりません。
とはいえ書いた意味はあったかなと思います。あくまで自分に対してですけど。でも、この集合欲求という考え方って現代の精神的な大きなストレスの原因に色々な場面で当てはまると感じます。
メンタルヘルスマネジメント検定や、こころ検定の勉強をした中でもそのことを感じました。
このあたり、しっかりと整理して自分なりに発信していければと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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