下手の横好きという言葉があります。
この言葉がよく当てはまるのが、私にとってのピアノです。
幼稚園から小学校1年生の間、高校になって少し、社会人になって少し。ピアノ教室に習いに行き、バイエル~ブルグミューラーを終え、かろうじてソナチネに足を踏み入れたレベル。それが私のピアノです。
弾いては辞め、弾いては辞めを繰り返し、そのせいであまり上達しませんでした。
時々無性に弾きたくなる。そしてすぐ飽きる。
ピアノとはこんな付き合い方をしてきました。でもここ半年ほど、ほぼ毎日ピアノを弾いています。仕事と家事の間を縫って30分ほどの短い時間ですが、コンスタントに弾いています。
家族からは「忙しいんだからピアノなんか弾かなきゃいいのに・・・」と小言を言われることもあります。でも弾いてしまう。
なんでピアノをつい弾いてしまうのだろう?忙しいのに辞められないんだろう?
ただの下手の横好きではないような気がする・・・。
そこで自己分析の一つとして、改めて理由を考えてみました。
私の家には簡易的な防音室があります。そこにアップライトピアノを1台置いています。
よほど大きな音で弾かなければ、夜でも家の外に音が漏れることはまずありません。
だから時間を気にせず、思いついた時にいつでもピアノを弾ける環境が整っています。
いつでも気軽に触れられる環境がある。
考えてみれば、これが一つ目の理由ですね。
身体を動かすのが好きだった私ですが、5年前の病気で全身の筋力が落ちてしまい、負荷の高い運動ができません。
でも筋力が落ちたせいか、改めて自分の身体に意識が向き、YouTubeで身体操作系の動画を見るのが趣味になっています。
武道や武術、スポーツの動画を見ては「こんな風に身体を動かしてみたい」と思うものの、現状では負荷に身体がついていきません。普通の運動ができるレベルに戻るには相当な時間がかかりそうです。
そんな私でもできる身体操作がピアノなんですね。
ピアノって指や腕だけで弾くものではなく、肩や背中、姿勢など、全身を使って弾くものなんだそうです。
この一度は弱った身体をどこまで使うことができるのか試してみたい。ピアノならそれが試せるかもしれない。
実際、指や腕の使い方など、今までとは違った使い方ができるようになってきています。
身体操作の面白さ。
これが2つ目の理由です。
私のメンタルについての仮説として、
- 没頭しているときは快感
- 運動、感覚機能が優勢にするとストレスが緩和される
というものがあります。
仕事では「頭」、いわゆる理性や理屈を司る機能を使うことが多いです。
疲れますよね。
一方ピアノでは、そういう部分は使いながらも、言語化を必要としない運動機能や感覚機能、イメージの機能を使うことが多い気がします。
私のメンタル仮説でいえば、ピアノを弾くことは、ストレスを緩和し、幸福度を高めるのに効果抜群です。
実際、余計な思考が消え、ピアノに没頭しているときはめっちゃ気持ちいいです。
これが3つ目の理由です。
我が家では子どもにピアノを習わせていて、今も小学生の子どもが教室に通っています。
教室にはC5サイズと思われる大型のグランドピアノ(憧れ!!)があり、時々、私にもピアノを弾かせてくれます。
その時に少しだけアドバイスをくれるのですが、拙いながらそのアドバイスを実践しようとすると、嘘のように自分自身の演奏が変わるんですね。
ピアノの演奏ってアドバイス一つでこんなに変わるのか?
自分にもまだ上達の余地がまだまだ残されているのかもしれない・・・!
ピアノ教室の先生から受けた影響も、自分をピアノに向かわせている理由の一つです。
改めて考えてみると、ただピアノを弾くという行為にも、隠された自分自身のモチベーションの源泉があることが分かりました。
これからもピアノを弾き続けて、
いつかショパンの幻想即興曲を弾いて、
超絶な自己満足に浸ってみたいです。