僕が発信していきたい事は、心のマニュアルです。
このブログの中でも「こころのマニュアル」と題して導入的な記事を少し過去に書きました。
が、
更新はそこで止まっています。
それは何故かというと、次の2つが大きな理由です。
- 自分自身のコントロールが不完全で説得力がないこと
- 周囲の誰かを「こころのマニュアル」の手法で少しでも良い方向に持っていった実績がないこと
まあ、要は、説得力が無いからです。
理屈としては正しいという直感があっても、実績がなければその価値は誰にも伝わりません。何より、書いている自分自身に確信が持てないと、説得力が生まれません。
ということで、まだ早計だったなと考え、温めている状態です。
そんな中、今日は、こころのマニュアル的な感覚を実際に体感することができました。
それがタイトルに書いた、
感情を傍らに置く感覚
です。
これは仏教やマインドフルネスで言われていることです。自分の感情に溺れるのではなく、感情を抑え込もうとするのでもなく、客観的に観察してただ「それがあるな」と見つめておくこと。
そうして自らの傍らに置くこと。
理屈では分かっていましたが、これまでは強く体感することは出来ませんでした。
しかし一昨日の強烈な怒りを覚えた案件から、感情を傍らに置くことを「体感した」と感じた瞬間にたどり着くことができました。
めちゃくちゃ怒ったんですよ。
どんなに落ち着こうとしても、次から次へと怒りが湧いてくる。
でも、こんなつまらない怒りから離れたい。自分を自由にしたい。
これを抑えるためにはどうしたらいいのだろうか?
と、真から感じたその瞬間でした。
怒りに溺れる自分を自覚し、消そうとしても消えないことを認め、一旦そこから意識を放して、怒りはただ傍らに置く。燃えているな、燃えるものだな、と認識する。
この感覚を「体感した」と感じました。
はっ、と、悟った瞬間でした。
ああ、これが、感情を傍らに置くことなんだと。
自分自身は中心に立ち、少し離れた場所に「怒り」を置いておく映像が浮かんだんですね。
次は、この感覚に再現性を持てるかどうかを、生活の中で確かめていきたいです。