【日記】第三章「運と縁」を読んで感じた「人」への認識の欠落。~持たざる者の逆襲を読む日記その5~

第三章は「運と縁」。この章の内容は、冒頭の紹介文に鮮やかにまとめられている。

人生で自由を摑めるかどうか、多くは【運】で決まる。そして運とは人との出会い【縁】である。その運と縁を引き寄せるのは、前向きな言葉であり、何があってもあきらめない姿勢である。

持たざる者の逆襲 P75

「運とは人との出会い【縁】である」という言葉に鳥肌が立った。

なぜなら今まで自分が考えていた「運」とは意味が全く異なるものだったから。

自分が考えていた運とは、試験で得意な範囲の問題が出るとか、リーチ一発ツモとか、パチンコの大当たりを1000円で引くとか、そういうことだけだった。

つまり、自分にとって都合が良い事象が偶然に起こることを、運と言っていた。その視点は常に自分しか見ていなかった。人との出会いを「運」だと受け止めていなかった。

しかし溝口さんは「運とは人との出会い【縁】である」と言い切る。

人こそ運。

僕とは自分以外の人間に対しての認識がそもそも違っていたのだ。それはつまり、世界の見え方が全く違っていたことを意味する。

僕には「人」の重みを認識するという行為が欠けていた。大げさに言うならば、僕の世界には「人」がいなかったことになる。

だとすると、これは絶望的な事実だ。なぜなら、今までの人生で溝口さんが言う「運」に気付かずに過ごしてきたのだから。

「運とは人との出会い【縁】である」

この言葉を今日からは胸に叩き込み、もっと周囲にいる人への認識を持つように改めたいと思う。

だが幸い、第三章で書かれているような「運を呼び寄せる習慣」は、比較的身についている方だと思う。自分にとっては、人に失礼がないよう、人に嫌な思いをさせることがないよう、自然と意識している言動だった。

今までの人との出会いをもう一度振り返り、これからの出会いを大切にする。

また一つ、自分の認識を改める機会をもらった。

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