厚労省のポスター発送中止騒動「死を連想させる」ことへの拒否に思うこと

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こんにちは、霧島もとみです。

厚生労働省が作成した「人生会議」の普及啓発ポスターを発送中止にしたことがちょっとした騒動になっています。

記事によると患者団体抗議文など批判を受けたことから自治体への発送を中止した…という経緯なのだそうですが、

Twitterで散見された否定的な意見の中で

「不安をあおる」
「死を連想させる」

からダメだという論調があるのが気になりました。

 

勿論そういった意見だけではなく、

「人間いつか死ぬ。死を連想させて何が悪いの?」

というような意見もあり、僕もこれに同意しています。

 

この騒動を通じて「死を連想させる」ことへの拒否について、改めて考えを整理してみました。

「死を連想させる」ことへの拒否は正しいのか?

死を連想させるポスターに拒否反応を示している方のコメントは、患者や遺族の立場の視点から述べられていることが多いように思います。

治療が上手くいくのかどうか、不安を抱えている方は確かに多いでしょう。

死は怖いもの。来てほしくないもの。
だから考えたくないもの。思い浮かべたくもないもの。

よく分かります。
ただ、考えなければ死なないかというと、そんなことはありません。
人間は生まれた瞬間に死ぬことが決まっているからです。

勿論人間だけではなく、全ての生命がそうです。

この客観的な事実から目を背けて、まるで考えなければ幸せであるかのような、そんな錯覚の中で生きていくようなことが正しいとは僕には思えません。

いつか必ず死ぬ、ひょっとしたら次の瞬間に死ぬかもしれない。

この厳正な事実を真正面から受け入れることで、逆説的ですが、人間は初めて生きることを強く考えられるようになるからです。

僕はこれまで関わってきた死の体験からも、そう確信します。

余談になりますが、少しだけ書いておきます。

僕が見てきた死

大学生の時に、祖父を不慮の交通事故で亡くしました。

雨の日に左折するトラックに巻き込まれた祖父は、あっけなくこの世を去りました。まだまだ元気で死ぬなんて考えたこともなかった祖父の将来が突然に奪われた理不尽さに怒りを震わせました。

義父が癌で亡くなりました。

1年近い闘病生活のあと亡くなりました。しかし癌が発症してからも酒やタバコを遠慮しながら続け、好きな競輪をし、死んでいった姿に家族は文句を言うことはありませんでした。僕は清々しい生き方だとすら感じました。今も皆、義父のことを懐かしそうに、そこにいるかのように語っています。

尊敬する先輩が自殺しました。

面倒見が良く、常に公平な視点で対応をする、仕事熱心な先輩でした。そんな先輩が家族を残して突然自殺してしまったのです。通夜で聞いた遺族の悲痛な叫び声は胸にあまりにも痛く刺さり、生きることとは何なのだろうと考えさせられました。

この他にも多くの親戚や知人を見送り、また、仕事を通じて死に接することもありました。

その中で僕が感じたことは、単純ですが、やはり人は死ぬのだという事でした。

人は必ず死ぬ。

だから生きるのだと。

そして今、自分が病気になった

そして今、僕は病気を抱えています。

癌を併発するリスクがある難病を抱えて生きていくことになりました。このことを知った時には目の前が真っ暗になったような衝撃を受けました。恐れや不安、様々な暗い感情が襲ってきました。

しかし、人は必ず死ぬという事を思い出した時、これらの不安は弱まりました。

そもそも医療が無ければ生物的にはいずれ死んでおかしくない身。
人間はいつ死ぬか分からない。
そのことから目を背けていた事に気付いたんですね。

自分に出来ることは、今の瞬間を生きることしか無いじゃないか。

そう考えた時、不安にぼやかされた時間は輪郭を取り戻しました。

死の存在を受け入れることで、生きる。
この感覚を改めて感じた瞬間でした。

入院という時間を貰ったこともあり、自分のこれまでの半生を振り返り、自分が何をしたいのか、家族とどう過ごしたいのか…改めて考えるきっかけにもなりました。

”死のない人生”というイメージでぼやかされたままでは、考えることが出来なかったかもしれないとすら思います。

抗議文にはどのような意見が書かれていたか

ところで騒動の発端の一つである患者団体からの抗議文にはどのようなことが書かれていたのでしょうか。

抗議文はホームページで公開されているので見る事ができました。


参考
構成労働省の厚生労働省の「人生会議」PRポスターに抗議しました卵巣がん体験者の会スマイリー

抗議文には、まずこのようなことが書かれています。

がんと診断されたら、もしくは病気になる前から、どう生きていくのか、人生の最終段階においてどのような医療を受けたいかも含めて医療者や家族と一緒に考え、話し合い、共有していく大切さを感じています。

厚労省がポスターの目的として説明した「終末期にどのような医療やケアを受けるか事前に家族や意思と話し合っておくよう啓発するポスター」の趣旨自体への抗議ではないことが分かります。

さて、抗議の内容としては次のようなことが書かれていました。

・日頃がん患者を支援している立場としてはとても強い憤りを感じるものです
・「がん=死」を連想させるようなデザインだけでもナンセンス
・話し合う大切さを強調するために、ご家族を傷つけるようなこの文章もとても残念です。
・このポスターではまるで「人生会議」が死にゆく人のためのものであるような、どこか暗いもののように私は感じてしまいます。
・私たち患者会としてはポスターのご案内どころか「人生会議をしよう」と言いにくいものになってしまいます。
・がん患者さんやご家族と日頃向き合いサポートする立場として応援、支持できるものではありません。いまいちど改善をご検討いただけるよう強くお願い申し上げます。

ポスターを作成した立場のことにも配慮しつつ、自分の感情を説明し、改善を求める抗議文だと感じました。

これはがん患者をサポートされている方としては、当然の心情だと思います。
よく分かります。

患者会としてこう感じます、改善を求めます、という意見は一つの意見として尊重されるべきでしょう。

 

ただ、「暗いイメージだから駄目だ」「死を連想させるから駄目だ」という感情ばかりが先行するのであれば、僕はその風潮に意義を唱えずにはいられません。

死は連想させたら駄目なものではなく、受け入れておくべきものだからと考えるからです。

見たくないものから目を反らし、自分の幻想の中で条件反射的に反応するだけでは、決して価値のある議論もできないし、生きることの意味も気づけないのではないか…そんなことを考えさせられた騒動でした。

 

しかし、何の話題にあがらないような、つまり誰にも刺さらないような広報に税金が使われることを考えると、今回のポスターは価値のあるものだったというようにも考えられます。

少なくとも僕には刺さりました。

「人生会議」という言葉も今回で初めて知りましたし、マーケティングとしては一定の成功なのではないでしょうか。厚労省という複雑な国の立場ゆえ難しいところはあると思いますが、信念を持って業務に取り組んでいただきたいです。

こちらもどうぞ。



僕はこうして暗闇を乗り越えてきたシリーズ「死について考えてみた」


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死んだら負け。ダウンタウン松本さんの言葉と、スラムダンク安西先生の名言を比べて考えてみた。

2 COMMENTS

通りすがり

小藪さんのポスターは切羽詰まった所からコミカルな感があって良いポスターだと
思いますが・・・一部の人間には「けしからん!!」としか思えないのでしょう。
ネット社会になって少数派の声が凄く大きくなった気がするのですよね・・・
その声に対してすぐに配慮する行動を取ってしまう事も如何なものかと思います。

自分は3~4年前にとある病気で医者に
「場所が悪いね・・寝てる時に亡くなる可能性もありますよ」
とかしれっと言い放たれて「死」と言うものを身近にして
人生で初めて「死に対して怖い・不安」色々な感情が湧き出してきて
精神的にナーバスになりました。
自分は強い人間だと思っていたけれどなんて弱い人間なんだと
思い知らされたことを覚えています。

日本人はあまり「死」について触れる事を嫌う傾向が強い気がします。
川端康成は死に対して
「誰でも死ななくちゃいけない。 でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった」という言葉を残してますが何か日本人らしいと感じます。

ポスターって「注意喚起・興味をひいて貰う」が目的なのに見ても「何とも思わない」のをもの作っても無意味な気がします。
見たくない現実から目をそらすのが日本人の悪い癖だと思うので
自分的にはクレームに負けずに発送中止しないで欲しかったですね。

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霧島もとみ

川端康成の言葉は「日本人が死について触れる事を嫌う傾向」のことをよく表現しているな、と感じました。
土地柄によっても変わってくるとは思いますが、比較的温暖な地域では普段の暮らしの中で死を感じることは少なく、近代になってからは益々その傾向が強くなっていることの証かもしれません。

私も自身の病いで死を急に意識させられることがありましたが、普段死に対して考えていたつもりでも、改めて現実のものとして見つめた時には精神的な重さが違いました。
普段の生活の中で死を意識するということは頭で考えるほど簡単ではないのだなと再認識させられました。

だからこそ今回のポスターには意味があり、問題提起として注意を引く効果もあり、価値があると思いました。ぜひ発送をしてほしいですが、「人生会議」の広報以外に医療改革を控える厚労省としては余計なクレームをあえて受けたくないという考えもあるかもしれず、難しいかな…とも思ってしまいます。それにしても小藪さんのコミカルさと事態の深刻さの表現のバランスは、やっぱり絶妙だと思います。

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