霧島もとみです。
ブログ開設から約1年半が過ぎ、130個目の記事です。
この間にブログタイトルを「じぶんプレス」から「ジブサラ。」、そして「自分解放記」に変えてきました。
そんなブログのヘッダー画像がなにかというと、
スプーンです。
何の変哲もないスプーンの写真です。ザ・シンプル。なにこれ?って感じかもしれません。
でも実は、僕なりのメッセージを込めています。
他の誰でもない僕自身に向けたメッセージです。
今日は130記事目を記念して、ブログのヘッダー画像がなぜスプーンの写真なのか、そこにどんなメッセージを込めているのかを紹介します。
またまた誰トクなんだ!という記事ですが、よかったらお付き合いください。
ヘッダー画像に込めたメッセージは「心を解き放て」
結論から言いますと、ヘッダー画像のスプーンに込めたメッセージの答えはこれです。
心を解き放て。
誰の心を解き放つのか?それは僕自身の心です。
今のブログタイトル「自分解放記」にふさわしいメッセージは何だろうかと考えたとき、このメッセージが自然と浮かびました。
このメッセージを想起させる画像として何がふさわしいのだろうか・・・そう考えて、選んだのがスプーンの画像でした。
なぜなら僕は、スプーンを見るたびにとある映画のセリフを思い出すからです。
There is no spoon.
(心を解き放て)
ここでピンと来た方もいると思います。
でもピンと来なければ、「スプーンが心とどう関係あるんだ?」「”ここにはスプーンは無い”がどうして”心を解き放て”になるのか?」と疑問しか湧かないことでしょう。
その答えは、映画「マトリックス」にあります。
“There is no spoon.”はマトリックスの主人公・ネオの台詞なんです。
なるほど、映画からの引用ということは分かります。名作と呼ばれる映画の印象に残った台詞や、カッコいい台詞を引用することはよく使われる手法です。
でも、今回はちょっと分かりにくいですよね。
・直訳すると「ここにはスプーンはない」という台詞がなぜ「心を解き放て」という意味になるのか。
・なぜ僕がこの「スプーン」に拘るのか。
以下ではこの謎を解き明かしていきます。
なぜスプーンが「心を解き放て」なのか?その答えは映画「マトリックス」にある
まずマトリックスがどんな映画かを簡単に紹介します。
一言でいうと、人間が機械に栽培されている世界を舞台にしたSF映画です。
当時の最新VFXを全力投入し、「攻殻機動隊」に影響を受けたという鮮烈なアクションシーンが話題になりました。
主演はキアヌ・リーブス。
派手なアクションや映像美だけでなく、東洋的な思想をベースにした世界観やメッセージ性も深い名作です。
ストーリーを僕の主観で説明しますと、
電脳世界に生きていた主人公が、
導く者・モーフィアスに出会い導かれ、
預言者オラクルにヒントを渡され、
自分が救世主であることを信じて覚醒する。
というストーリーです。
僕がとにかく好きなのが主人公・ネオが自分自身が救世主であることを信じはじめ、それをきっかけに少しずつ覚醒していくところなのですが、ここで鍵になる言葉が、そう!
スプーンなんです。
預言者オラクルの部屋で、ネオはいわゆる”スプーン曲げ”をする少年に話しかけられます。
Do not try and bend the spoon. That’s impossible. Instead only try to realize the truth.
(スプーンを曲げようとしちゃ駄目。そんなのは無理。そのかわりに、真実を見ようとすればいいんだ)
What truth?
(真実って?)
There is no spoon.
(スプーンなんてないんだ)
There is no spoon?
(スプーンなんてない?)
Then you’ll see that it is not the spoon that bends, it is only yourself.
(そうすれば分かるよ。曲がるのはスプーンじゃない。自分自身なんだ。)
この少年が言った「There is no spoon.」という言葉に込められた意味は、おおざっぱに言うと「目に見ているものに心を囚われるのではなく、真実に気づかなきゃダメだ」ということです。
ここにスプーンはあるように見えているけど、
ここにはスプーンはない。
真実だけがある。
では真実とは何か…?
というような、まるで禅問答のような会話です。
この会話を交わした舞台は機械が創りだした電脳世界・マトリックスの中なので、僕はこの場面を見て「真実=電脳世界の計算機が生み出す結果」という意味だと解釈しました。
それはさておき。
「spoon」というキーワードが、ネオが覚醒するきっかけの言葉なことを覚えていてもらえれば大丈夫です。
そしてこの「spoon」がもう一度登場する場面があります。
敵であるエージェント・スミスに捕らわれたモーフィアスの救出にネオが挑む場面です。
マトリックス内にある、モーフィアスが捕われているビル。
そのビルのロビーでネオとトリニティは、警備員と駆けつけた武装員を相手に機関銃を大乱射する必見の大立ち回りを繰り広げた後、エレベータで屋上へと向かおうとします。
しかしエレベータは電源を落とされていて動きません。
そこで二人はエレベータの箱の上へ登り、エレベータを吊るすワイヤーに身体を縛り付けたあと、ワイヤーを切ってエレベータを落とします。
ワイヤーはその反動で一気に屋上まで急上昇する・・・という超危険な行為をする訳ですが、このワイヤーを切る前にネオがつぶやきます。
「There is no spoon.」
字幕では「心を解き放て」と表記されてます。
意訳にしても「ここにスプーンはない」と「心を解き放て」はちょっと離れすぎてるじゃん!と思うかもしれませんが、そうじゃありません。
それは少年との会話が背景にあるからです。
少年が世界の真実の例として語ったスプーンの話を思い起こし、
・今見ているものだけが真実ではない
・自分自身が曲がれば(変われば)世界は曲がる(変わる)
・さあ、今までの固まった認識を解き放て。自分にはできる。
・自分を信じて世界を変えろ。
というようなことをネオは瞬時に考えたのでしょう。
だから「There is no spoon.」と呟いた言葉は、日本語で表すと「心を解き放て」になるんです。
これが、僕がスプーンの画像に「心を解き放て」というメッセージを込めた理由です。
マトリックスで感じた心を解き放つストーリー
映画「マトリックス」の主人公ネオは、周りの人間たちに「お前こそ救世主だ」と言われてもそれを受け入れませんでした。
自分にはそんな力はないし、救世主であるはずないと。
しかし少しずつ自分を信じ始め、最後には完全に覚醒した姿を見せてくれます。
僕がこの映画に強く共感したのは、この「ネオが葛藤の後に自分自身を信じることで力を発揮しはじめる」という物語性です。
最初は信じれなかった自分自身を、なぜ信じられるようになったのか。
それはモーフィアスに導かれた体験や、オラクルの助言や少年の言葉などもありますが、最終的な要因は自分を信じると自分自身で決めたからです。
エレベーターで呟いた「There is no spoon.」は、まだ完全には信じきれていない自分自身に向けた、自分を信じるという決意の表れです。
信じようとする自分への勇気付けです。
そして見事に救世主としての力を発揮しはじめ、エージェントが放つ弾丸を高速のエビ反りでかわしたり(あの有名なシーンですね!)、落下するヘリコプターから脱出しながらトリニティを救ったりと、人間離れした活躍を見せるようになりました。
それは映画の話だから・・・と言う人もいるかもしれません。
でも僕は、自分を信じることで、心を解き放つことで人生を変えられるのは今生きている世界でも同じだと考えています。
あのケイスケ・ホンダも「信じることは技術だ」と言っていました。
自分には出来ると信じる。
心を解き放つ。
そうすることでいつでも人間は変われるし、多くのことが出来るようになる。
僕はそう考えています。
勿論、自分がマトリクスのネオのように、世界の救世主だとかは微塵も考えていません。
だけど、自分の救世主になれるのは自分だけ。自分しかいない。
だから僕は自分を信じることにしました。
今も信じています。
これが映画「マトリックス」から感じた、心を解き放つストーリーです。
だから僕は今日も呟きます。
There is no spoon.
心を解き放て。
この記事を最後まで読んでいただいたみなさんも、そっと呟いてみてください。きっと世界が少しずつ変わっていきます。
あ、その前にマトリックスを見てないという方は、ぜひ見てみてくださいね!
マトリックス/Blu-ray Disc/CWBA-Y11530