悩みをこじらせた私に「こころのマニュアル」が必要な4つの理由

こんにちは。霧島もとみです。

今回も「こころのマニュアル」についての記事です。

前回の記事では心理学の専門家でもなく、実務家でもない私が「こころのマニュアル」を書こうとした理由を話しました。

理由の紹介というよりも、「だから書くんだ!」「書けよ!」と自分自身を奮い立たせるような内容でした。いつもながら自己満足で恐縮です。

さて今日の記事は、悩みをこじらせた私に「こころのマニュアル」がなぜ必要かを話します。

というのも、書く理由がある・書きたいというのは分かりましたが、次はこんな疑問が湧いてくるからです。

  • 「こころのマニュアル」とやらが一体何の役に立つの?
  • なぜそんなものが必要なの?

これから「こころのマニュアル」を力強く書いていくため、この私自身の疑問に答えます。

そのためにはある程度、私自身の人間性をさらけ出していかなければなりません

正直怖いです。書きたくないです。でも、書かない訳にはいきません。

ということで必要な理由を4つだけ紹介します。

もしも自分にも当てはまるなあ…というところがあれば、ひょっとしたら、私と同じように「こころのマニュアル」が必要な方なのかもしれません。

それでは始めます。どうぞよろしくお願いします。

理由1:強いストレス・悩みを感じていた

前回の記事で書いたように、私は強いストレス・悩みを抱えた経験があります。

非モテをこじらせまくって30歳になったら死のうと思っていたこと、仕事上の理由からうつ症状を発症して、完全に自信を喪失したこと。

感情の起伏が落ち込むたびに苦しい思いを抱え、強いストレスを抱え、やがて心身を傷つけていきました。

この時に苦しかったことの一つが、「なぜこんなに苦しい思いが起こるのだろう」という理由が分からなかったことです。

例えば非モテ。

確かに悲しい状況かもしれませんよ。でも、理屈上は別に不便もしないし何の支障もありません。

生きていくのには別に困らないんですよね。

それなのに、非モテということを理由に、私は胸が締め付けられるような痛みや苦しさを感じ、何度も悲しさの涙が止まらないような状態になりました。強いストレスを感じていました。

本当に分からなかったんです。

なぜ、たかが非モテというだけで、こんなに自分自身がストレスを感じなければならなかったのか…。

また、うつ症状を発症した際には、「自分は弱い」という思い込みで自分自身を苦しめました。症状が回復してからも、心が強い人の「強さ」はどこから来るのだろうという問いが頭から離れませんでした。

悲しさの理由、強さ・弱さの理由を見つけられないままでしたが、私は幸いにもこれらの状態から回復し、その後も仕事や日常生活を送れることが出来ています。

しかし、悩みや苦しみの理由が分からない状態のままで乗り越えるというのはあまりに偶然性が高すぎるのではないか?と考えずにはいられません。

もし、自分がこころで悩んだ時やストレスを感じた時に、その理由と対処法を予め知っていれば、乗り越えられる確率はぐっと高くなるはずです。

「こころのマニュアル」は、その理由と対処法を書いたものです。

ですから、悩みをこじらせることが得意な私には絶対に必要なものです。

「こころのマニュアル」で、悩みの理由を知り、どんな対処法があるかを知ることで、乗り越える確率はぐっと高くなるでしょう。

理由2:所属・承認欲求が満たされにくい体質だった

マズローの欲求5段階説では、1・2段階目の生理的欲求と安全欲求が満たされると、次に3段階目の所属欲求(社会的欲求)、4段階目の承認欲求を満たそうとするとされています。

この所属欲求と承認欲求に対して、私自身はこれらが非常に満たされにくい体質です

それはつまり、ストレスを感じやすく、悩みを持ちやすい体質です。

だからストレス・悩みに備えるための「こころのマニュアル」が、私には必要なんです。

私と同じようにストレスを抱えやすい、悩みやすいかも…という人であれば、やはり何らかの「こころのマニュアル」を持つことが助けになるでしょう。

参考までに、所属欲求・承認欲求が満たされにくいという私の体質がどんなものか、恥を覚悟で3つだけ紹介します。

 

まず1つ目。自己承認が下手です。

小学校の頃は「俺凄い!」「俺天才!」という自己承認の塊のような性格だった気がするのですが、思春期を過ぎるころには「自分が出来ることは他人にもできる」「自分など大したことがない」という謎の自制思考が固く身についていました。

機動戦士ガンダムというアニメの主人公アムロ=レイ

「どうせ僕じゃなきゃガンダムは動かせないんだ(フッ…)」

と調子に乗っていたところ、上司からガンダムのパイロットを突然降ろされ、いじけた勢いでそのままホワイトベースを飛び出していく…というエピソードを見て

「そうか。人間は調子に乗ったらダメなんだな」

と強く思ったからかもしれません。

大人になるとさらに性格がひねくれてしまったのか、

誉め言葉を言われても「ありがとうございます」と笑顔は浮かべながら、

「自分は大したことないのに褒め言葉を言われるはずがない」

「きっと表面だけの誉め言葉でお世辞なんだろうな」

と素直に受け取ることができない節がありました。

本気でヤバい奴です。今も完全には払拭できていません。

自己承認が下手だと、所属欲求や承認欲求を満たすのはとても難しいですから、かなりハードモードな体質だと言えるでしょう。

 

次に2つ目。他人付き合いが下手です。

いや。仕事上とか、部活でとか、何らかの規定の関係性があるなかでの付き合いは普通にこなせるんです。なぜかというと、上司や部下、先輩や後輩など一定のモデルケースのようなものが経験上叩き込まれているからです。

この辺り、体育会系の凄さだと思います。

そうではなく決定的に下手なのが、友人関係などの個人的な人間関係上の付き合いですこれが下手でした。表面上の付き合いは出来ているんだろうと思いますが、自分自身の中では全く手応えが掴めませんでした。

先ほどの自己承認の下手さも手伝って、「なぜ自分のような人間と友達付き合いをしているのだろう」「自分の振る舞いは知人としてどうなのだろうか」と常に自制モードが働き、新しい友人関係を心の底から受け入れることが出来ていなかったと思います。

特に高校以降はその傾向が強かった気がします。

だからでしょうか。高校以降の友人とは自然と連絡が途絶え、ずっと連絡を取っていません。連絡も来ません。特に取りたいとも思いません。

寂しい人間です。

他人付き合いが下手だと、必要なとき以外は集団を避けるようになります。自然と所属欲求・承認欲求が満たされる機会は減っていく…

これもまた、ハードモードです。

 

そして3つ目。他人を信じられなかった

いつの頃からか、他人を信じられなくなりました。

もう少し正確に表現すると、「他人が何を考えているのかが全く分からない」という思考に陥り、「だから他人の言葉や行動が真実か嘘かが分からない」「だから信じられない」となっていました。

いや、表面的には信じるんですよ。信頼しなければ仕事も出来ないですからね。信じられなかったのは、理性ではなく感情的なものです。感情的に他人を心の底からは信じきれない自分が存在していました。

2つ目に挙げた「他人付き合いが下手」というのも、このことが大きかったかもしれません。信じられないのに上手く付き合える訳がないですよね。

他人を信じられなければ、やはり所属欲求や承認欲求を満たすことは難しく、ハードモードです。

このあたりは「信じる」という言葉の勘違いだったと今なら分かるんですけど…。

 

これらのような事から、私は所属欲求と承認欲求が満たされにくい体質になっていました。

しかし私は、所属欲求や承認欲求のことを十分に認知していませんでした。

その欲求の存在や効果の強さをもしも知っていたとしたら、自分自身の行動が変わっていたかもしれません。

少なくとも「変えなきゃハードモードのままだな」という仮説を立てることは出来たでしょう。

この点からも、私には「こころのマニュアル」が必要だと言えます。

理由3:こころについての知識を持っていなかった

私は精神的なストレスや悩みを抱えていましたが、一方、身体や心について全く不勉強でした。

学歴は大学卒業。しかし工学部だった私は、心理学には全くノータッチでした。人間の身体についての理解は、中学校の理科レベルでした(高校は物理・化学を選択していましたので)。

細胞生物学はさわりだけ学びましたが、DNAがどうとかRNAがどうとかいう非常にミクロな世界の人体なので、ストレスや悩みとかいう話にはあまり関係がありませんでした。

社会人になってからは「人の心を操る〇〇な心理学」系統の本を読んだものの、それらには断片的な知識や技術が書かれているだけでした。

つまり、「こころ」について系統付けた知識を持っていませんでした。

だから非モテやうつ症状でストレス・悩みを抱えながら、その悩みや苦しみがなぜ起きているのかを理解することが出来ませんでした。

ただただ、苦しみや悲しみの波が過ぎるのをじっと耐えるだけだったんですね。

しかし今は、独学ながらこころについて一定の学びを持ちました。

ストレスや悩みの原因について、あるいは対処法について、系統的な知識を背景に行動することが出来ます。

ストレスや苦しみが起きたとしても、原因を分析し、対処法を練ることができるでしょう。

今の知識を下地にして、もっとこころについての学びを深めることも可能です。

 

こころについて何も知らない状態は、このストレスに満ちやすい構造になっている現代社会においては、あまりにも無防備すぎます。

どれくらい無防備かということを漫画・【HUNTER×HUNTER】で例えれば、

天空闘技場の200階に念を知らないまま挑むような状態です。

一瞬で狩られてもおかしくありません。

こころについて学ぶ機会がなかったような私のような方には、ハンターが念を習得する必要があるのと同じように、「こころのマニュアル」でこころを知る必要があるはずです。

理由4:自分の軸を持っていなかった

私は「自分の軸」をこれといって持っていませんでした。

自分の心を運用するためのルールや信念のようなものが何もなく、ただただ生きてきただけでした。

強いて言えば「他人に迷惑をかけない」「面白いことを求める」という考えくらい。とても自分の軸と言えるような代物ではありませんでした。

まあ、「これ」という定まった価値観を持っていなかったんです。

 

ところで、なぜ私には自分の軸が無かったのでしょうか?参考になるか分かりませんが、その特徴として思い当たる事を3つ紹介します。

まず1つ目。特定の宗教を信じていませんでした

宗教の信仰は、自分の中に信仰という軸を持つことになります。しかし、私にはまずこれがありませんでした。

思春期頃にオウム真理教事件があった影響か、宗教というものに基本的に疑念を持つというスタンスを取っていました。

ちなみに宗教体験としては、小学生の時にキリスト教の教会を活動場所にしていたボーイスカウトで月1回のミサに参加していたことがあります。でも子供ですから祈りの意味なんて全く分からず、1時間ほど、ただただ退屈に耐えるというだけの体験でした。

大人になってからは、身内の葬式をきっかけに般若心経に興味を持ち、仏教系の思想に共感を持ちましたが、信仰を持つには至りませんでした。

 

次に2つ目。強い背景を持っていませんでした。

ここで言う背景というのは、家柄とか、先祖とか、資産とか、自分の出自に関して強い誇らしさを感じることを指しています。

こういうものが私には全くありませんでした。まあ、持っている人の方が少ないかもしれませんけれど。

なぜこんな事を言うのかというと、社会人になってから「この人はメンタルが強い」と思う人を見ていると、こういう強い背景を持っている人が結構な割合でいるように感じたんですよね。

サンプルが少ないので統計的には何の価値もありませんけど、もしこういうものが自分にあったとすれば、それを誇りに持ち、自分の軸の一つにすることが出来たのかもしれないと思います。

これも私にはありませんでした。

 

そして3つ目。目標にする人物がいませんでした。

偉人でも身近な知り合いでも誰でもいいのですが、目標にする人物を持っていれば、その人物をロールモデルにして行動することが出来ます。

「あの人ならどうするだろうか」という問答を繰り返すことで、行動や思考について一定の基準を持つ事ができ、やがて自分の軸を作っていくことができます。

私はこの「目標にする人物」がいませんでした。もちろん、将来に対する強烈な夢もありませんでした。

「この人は凄い」「こんな風になりたい」と思う事はあったものの、これが全く長続きしませんでした。瞬間的には盛り上がるものの、すぐに冷めてしまうか、別のものに興味が移ってしまいました。

熱しやすく冷めやすい。まさにそんな人間でした。

ですから誰かを目標にして行動し、いつしかそれが自分の軸になるということもありませんでした。

 

というような感じで、私は自分の軸を持っていない状態のまま、ずっと生きてきました。

何となく学校に行き、何となく勉強して大学に行き、何となく就職して社会人になり、何となく仕事して毎日を過ごす…という軸の無い生き方です。

別にこれが絶対駄目だと言っている訳ではありません。普通に生きていくことは出来ると思います。ただ、私がストレスと悩みに押しつぶされてしまったように、何かトラブルがあった時には耐性が弱く、バランスを崩しやすい状態だと言えます。

危険に対する備えが出来ていない状態なんです。

備えってやっぱり必要ですよね。

だから私のように「自分の軸を持っていない」人間が生きていくためには、原理原則を踏まえ、自分の軸を持つことができる「こころのマニュアル」がやはり役立つと言えるんです。

この記事の振り返り

ということでこの記事では、悩みをこじらせた私に「こころのマニュアル」がなぜ必要なのかという理由を4つ紹介しました。

  • 「こころのマニュアル」とやらが一体何の役に立つの?
  • なぜそんなものが自分に必要なの?

という私自身の疑問に対して、答えが出せたと思っています。

1つ目の理由は、強いストレス・悩みを感じていたこと。

「こころのマニュアル」で、悩みの理由を知り、どんな対処法があるかを知ることで、乗り越える確率はぐっと高くなることが期待できます。

2つ目は、所属・承認欲求が満たされにくい体質だったこと。

所属欲求や承認欲求が満たされにくい体質は人生ハードモードですが、こころを知ることで、自分自身の行動を変えることが出来るようになります。

3つ目は、こころについての知識をもっていなかったこと。

系統付けた学びをすることが最終的には大事ですが、まずは入門・概論として、「こころのマニュアル」が使えます。

4つ目は、自分の軸を持っていなかったこと。

信仰や目標にする人物などの自分の軸を持っていなかった私には、自分の軸を持つために「こころのマニュアル」がやはり役立ちます。

改めて振り返ると、本当に「ただ生きていた」という状態だったと思います。

 

運に恵まれれば私のような人間でも、問題なく生きてくことも出来ると思います。

でも危険に対する備えが出来ていない状態ですから、強い悩み・ストレスに遭遇したときにこれに耐え切れず、心のバランスを崩すことになってしまいました。

「こころのマニュアル」はそんな私の役に立つ、必要なものということをあたらめて認識できました。

また、「こころのマニュアル」により、以前の自分と比べてより安全に危機に対応できるようになり、また、より幸福な人生に近づくことができると考えています。

ということで。悩みをこじらせた私に「こころのマニュアル」がなぜ必要なのかを紹介できましたので、次回は、いよいよ(?)私の「こころのマニュアル」の概論から紹介を始めたいと思います。よかったら読んでみてください。



概論!「こころのマニュアル」 4つのキーフレーズ

最後まで読んでいただきありがとうございました。

自分のための記事とはいえ、何か少しでも、ほんのわずかでもあなたの役に立てば幸いです。

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