言葉とは非常に難しいものです。
単体では正確な意味を表現することはなく、前後の他の言葉との相互関係のなかでようやく意味しようとする姿を拘束することができるもの。
そう私は理解しています。
でも一旦立ち止まると、本当につくづく考えさせられます。
一つ一つの言葉の定義を分からないまま、曖昧なままで使っていることがなんと多いのかと。
例えば、意識と無意識という言葉があります。
心の働きを考える時に「意識が~」とか「無意識で~」などと言葉で使っているのですが、
意識って何?
無意識って何?
と改めて自分自身に問い質すと、明確に説明するための言葉を持っていないことに気付かされるのです。
で、その疑問を解消しようとして本を読んでいくのですが、
読めば読むほどに分からなくなってきて、
混迷のただなかに自分が立っていることに気付かされるのです。
そもそも書かれてあることが難解だったり、
自分が獲得していたイメージを大きく揺らがされたり、
一つの事象を理解するためには更に多くのことを理解しなければならないことに気付いて途方に暮れたり、
そんなこんなで
全ての言葉の定義が分からなくなった瞬間にいるような錯覚に陥ってしまいました。
そして自問自答がループします。
「これって無意識と…」
「いやいや、そもそも無意識って何だか分かってるん?」
「もちろん。意識しない心の働きのことで…」
「じゃあ意識って何なん?」
「主体的に…」
「じゃあ主体的にって何なん?」
「えっと、えっと…」
「そもそも脳のどの部位のどういう作用の結果で意識が感じられるん?」
「えっと、えっと…」
「何やお前、
意識とか無意識とか言いたいだけちゃうん?
ボケが~~」
ちなみにこの自問自答は、午後3時45分頃のふっと暇になった瞬間にボボボっと湧いたものです。
ていうか、何を言いたいのかも分からなくなってしまいました。
ああ。
ということで今日はただただ自分の不勉強の不安を吐き出すだけの日記になってしまいました。
でもとりあえず何かを書いて晒したから、今日も偉いですよね。フフフ。