今日は「書くことによる救済」に関する思考が浮かびました。
「書く」という行為そのものについて私が考える時、いつも思い浮かぶのは編集者・見城徹さんの本に出てくる「書くことでしか救われない人間がいる」という言葉。
「内面に溜め込んだ壮絶な経験、精神を救済するには本を書くしかない」という言葉だと理解しているのですが、これが今までピンと来ませんでした。
何となくは分かる気がしていたんですよ。
モヤモヤしたものがある、鬱屈したものがある、書いたら何かスッキリする的なイメージでは、何となく理解できる気がしていたんです。
でも「それが何故?」と考えると説明できませんでした。
書いたって状況が変わるわけじゃない。「書く」という行為で表現できたとしても、それは表現したに過ぎないのであり、事実自体は解決もしなければ過去の経験が無くなる訳でもない。
それがどうして救われることになるのか・・・?
ここがどうしても理解できなかったんです。
しかし、今日、それがなんとなく想像できた瞬間がありました。
書くという行為のためには対象と向き合わなければならない。
向きあい、理解し、言語化しなければならない。
言語化することで、今まで精神の中に溜め込んでいた何かが具体化する。
具体化することで向き合い方が変わる。
その結果、精神的な救済を得る。
こういうことなのかなと。
これなら「書く」という行為により救済を得るということが理解できる気がしたんです
生理学的には言語化できていないものと、言語化できたものとでは処理する脳の領域が異なり、その結果生理的なストレスに与える影響が変化する・・・ということも生じるのかもしれません(これは100%想像に過ぎませんが)。
だとすると、何かが生じた時には、とりあえず書くことで良い変化が得られることになります。
自分自身が何かを書くときに、このことを意識してみようと思います。